iの研究



第七十一回 <告白>の研究


安政四年、河内国石川郡赤阪村字水分の百姓城戸平次の長男として出生した熊太郎は気弱で鈍くさい子供であったが長ずるにつれて手のつけられない乱暴者となり、明治二十年、三十歳を過ぎる頃には、飲酒、賭博、婦女に身を持ち崩す、完全な無頼者と成り果てていた。
父母の寵愛を一身に享けて育ちながらなんでそんなことになってしまったのか。
あかんではないか。


町田康の長編小説「告白」の冒頭です。
客観的な事実の描写の後の、唐突な「あかんではないか」という主観の乱入。
この箇所で、わたしは「告白」が類い稀な傑作であることを確信しました。
「あかんではないか」、この一言に「告白」のすべてが集約されている予感がしました。

文章を書く場合、文体は重要な問題です。
何を書くのかとどのように書くのかは、同等の重さを持っていて、その文章を決定づけます。
「告白」が傑作であるのは、まずもってその文体が個性的であり、内容を増幅させているからです。

上の文章を例にとれば、主人公の要約の後に、作者のツッコミが唐突に入ってますね。
しかも、関西弁で。
学校の作文でこのような書き方をすれば、不可をもらうのは確実です。
文体の統一がとれていない、という理由で。

町田康はパンク(ロッカー)であると同時に小説家であり、詩人でもある人です。
詩人、つまり言葉のプロフェッショナルですね。
余談ですが、この三種の職業のうち最も職業として成り立ちやすいのは小説家です。
一番ダメなのは詩人で、パンクも真摯なパンクだと、まず食えません。
町田康が小説を書くのは、パンクでは食えないという側面もあるのではないか、と(わたしは)憶測します。

町田康は言葉のプロフェッショナルで、それはもう「告白」を読めば一目瞭然です。
言葉が先行しがちなのを巧みに押さえて、全体のバランスとリズムを整えている。
それでいて作為性を感じないのは、かなり高度なテクニックであり、才能ですね。
この人は、才能があります。

町田さん、と突然さんづけで呼ぶのは、一度会ったことがあるからです。
知人の恒松正敏さん(この人もミュージシャンで画家でもある人)の個展会場で、挨拶だけしました。
奥様とご一緒で、眼鏡をかけた物静かな雰囲気の方でした。
(もちろん、その物静かな姿の内側には、とてつもない何かが潜んでいることも推し量れましたが。)

町田さんは美形の人です。
写真に写っている町田さんは、パンクでいつも目を剥いていますが、顔立ちは見事に整っています。
大阪出身の友人の話では、高校時代の町田さんは、それはそれは美形の人だったようです。
美形で不良(パンク)で、才能の塊。
これでミュージシャンとしてメジャーになれなかったのは、町田さんが真摯なパンクだった為ですが、小説家としては既にメジャーです。
なぜかといえば、努力したからでしょうね。
努力するパンクというのは形容矛盾ですが、多分町田さんには努力を厭わない資質があったと思います。
それが結実したのが、「告白」です。

話を言葉に戻しますが、「告白」の文体の特徴は、要素の異なるものが衝突しながら同居していることです。
標準語と方言、客観と(作者のモロな)主観、時代的描写と現代的な解釈、古典的な形容と低俗な言い回し。
それが違和感を持ちながら同居し、その衝突のエネルギーと笑いが物語の推進力となっています。
物語自体はユッタリとしたペースで進みますが、文体の根底にあるのは疾走感です。
パンクとは懐疑であり疾走ですが、「告白」をパンク小説と呼ぶには抵抗があります。
そういう狭い枠組みを超えた、類い稀な傑作なんですね、この小説は。



「告白」は、明治時代に実際にあった大阪河内地方の大量殺人事件に材を採った小説です。
時代小説であり、殺人事件の話なんですね。
この大量殺人事件は、「河内十人斬り」として河内音頭のスタンダードナンバーになっていて、ご当地近辺の方は誰でも知っている話だそうです。
町田康が「河内十人斬り」事件を知ったのは、恐らく河内音頭からであり、その音楽性は小説の中でも重要な役割を担っています。
ここで「河内十人斬り」を簡単に記しておきます。
(本の帯のコピーの引用です。)

明治二十六年五月二十五日深夜、雨、河内国赤阪村字水分で百姓の長男として生まれ育った城戸熊太郎は、博打仲間の谷弥五郎とともに同地の松永傳次郎宅などに乗り込み、傳次郎一家・親族らを次々へと斬殺、射殺し、その数は十人に及んだ。
被害者の中には自分の妻ばかりか乳幼児も含まれていた。
犯行後、熊太郎は金剛山に潜伏、自害した。
犯行の動機は、傳次郎の長男には借金を踏み倒され、次男には妻を盗られた、その恨みを晴らすため、といわれている・・・・・。
熊太郎、三十六歳のときであった。

陰惨な事件ですね。
この陰惨な事件が、なぜ河内音頭になったのでしょうか。
熊太郎(と弥五郎)の凶行が、義と侠の実現だったからでしょう。
正義と男の意気地の為の凶行、と捉えられたからだと思います。
傳次郎一家は村の権力者でしたが、村民からは(特に長男の熊次郎は)嫌われていた存在でした。

町田康は事件の事実をストーリーに据え、それに沿って熊太郎の内面を描いています。
そして、テーマはズバリ「人はなぜ人を殺すか」です。
(これも本の帯のキャッチコピーですが。)

「人はなぜ人を殺すか」は、イコール熊太郎はなぜ十人もの人を殺したか、になります。
キャッチコピーをそのまま受け取るとそうなります。
答は、熊太郎が「ドツボにハマッた」からです。
これは、本人(熊太郎)も自害する前に独白しています。
どんなドツボかといえば、近代という時代が生んだドツボなんですね。
これは、わたしの見解です。

熊太郎は田舎の百姓の伜ですが、極度に思弁的な人間でした。
考えたことが即言葉になる土地の人間とは違って、考えをあれこれ巡らしてから、言葉にしようとする性質(たち)でした。
土地の人間は他の言動に疑問があれば、なにしてんね、と河内弁で無邪気に尋ねます。
しかし、熊太郎は河内弁しか話せませんが、河内弁では表すことが困難な思弁の持ち主でした。
又、その思弁を共有する者もいませんでした。

熊太郎の入り組んだ思弁を形作っているのは、自我、自意識といったものです。
自我、自意識は、世界と自己の分離から発生する意識です。
熊太郎が生まれ育った時代は、明治の初期から中期です。
日本の近代化が始まった時期ですね。

つまり、日本に自我、自意識という概念が生まれ始めた時期に、河内の田舎で、ポツンとそういう意識の人間が生まれたのでした。
なぜ熊太郎にそういう意識が生まれたのかは、分かりません。
公園デビュー(世間に出る)がちょっと遅かったかもしませんが、それだけでは明確な理由になりません。
極度に思弁的であることが、熊太郎の根本の不幸であったことは間違いないのですが、その理由はハッキリ書かれていません。
それはハッキリ書かれていなくても、特に差し支えはありません。
本を読むという行為の中で、読者が考えれば良いことですから。



思弁の中で孤立した熊太郎は、徐々に世を拗(す)ねていきます。
不良になっていくのですね。
不良になったら、不良仲間とバンドでも組めばよかったのですが、生憎当時そういうものはありませんでした。

バンドを組むというのは、ある意味、思弁(言葉)の共有です。
家族や隣近所の人には伝わらない言葉を、仲間と組んで大音響と共に放つ。
放った言葉の中身は「バカヤロー」だけだったりしますが、その「バカヤロー」が周りの人には通じない。
通じないから通じる同士で、大音響で「バカヤロー」をやるのが、バンドです。
所詮は仲間内の共有にすぎませんが、それでも、それで救われるものは少なくありません。

熊太郎というのは、実に良い奴です。
町田康が造形した熊太郎は、憎めない奴で、とてもあのような大それた事件を起こす人間には見えません。
半端なヤクザでグータラで、小心で人が良い奴。
まるで自分みたい、と書くと自惚れになってしまいますが、熊太郎が他人に見えない人物造形であることは重要です。
この物語は、他人事ではないからです。

熊太郎はチヤホヤされて育ち、世間を知るのが遅く、自意識が過剰だった男です。
自意識が過剰というのは、自分が他人からどう見られているかを過剰に意識することです。
過剰に意識するから、行動がどことなくヘンになってしまいます。
それをカヴァーしようとして、考えすぎて、一層ヘンな行動に出る。
悪循環です。
(身に覚えがありますね。)

そういう男ですが、熊太郎がまともな道から逸れたのは、少年時のある事件からです。
行きがかりから、森の小鬼という他所者の童を痛めつけたのが発端です。
しばらくの後、熊太郎は兄と一緒だった森の小鬼と再会し、屈強な兄に古墳に連れ込まれます。
死を宣告された熊太郎は、捨鉢の反撃を試みて、逆に兄を殺害してしまいます。
この殺人を知るのは熊太郎だけですが、いずれは表沙汰になると思い込んで、自暴自棄な道を歩み始めます。

本書の後半で明らかになるのですが、この殺人が実際に起こったことなのかどうなのかは、不明です。
熊太郎の幻想体験だった可能性もあります。
だいたいが、森の小鬼の名前が葛城モヘアで、兄が葛城ドール。
こんなヘンな名前の日本人が明治時代にいたとは考えられません。
兄弟の姿形も、当時の日本人とは大きくかけ離れています。

「告白」は近代小説の形式を継承していますが、含んでいるものは、近代小説とは趣を異にする部分があります。
いわゆる客観的事実とは違う次元が、物語に混入しています。
物語の先祖である、モノカタリ(異次元の話)が所々に見え隠れします。

熊太郎が大量殺人を犯す最初の結節点は、古墳という場所で、得体のしれない兄弟との死闘です。
天皇の親戚の末裔と称する兄弟は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)を想像させる造形です。
これは、暗示的です。
その暗示は、それ以降の熊太郎に重くのしかかります。



物語は、熊太郎の成長(堕落)を描きながら進んでいきます。
恋愛もあり、友情もあります。
心の奥底に閉まっておいた葛城ドール殺害が、ある出会いから熊太郎の内面を支配し、その後を決定します。
森の小鬼に酷似した、松永熊次郎との出会いです。
ここから惨劇の助走が始まります。

狡猾な熊次郎とは主に金銭が絡み、その弟寅吉とは熊太郎の妻縫(ぬい)との不義が絡み、恨みが生まれ増大していきます。
その過程は、熊次郎が生来持っていた苦悩が増幅されるプロセスでもあり、惨劇はその両面を精算するゴールでした。
助っ人の義兄弟、弥五郎と共に殺戮を繰り返した熊太郎は金剛山に逃亡します。
しかし、金剛山の山中で熊太郎は、ゴールが終点でなかったことを悟ります。
ドツボは、まだ続いていたのです。

熊太郎の苦悩とは、極度に思弁的で、自身の思いがうまく表現できないことです。
世間の人間のように、ストレートに言葉が出てこないことです。
共有する言葉を持たない熊太郎は、孤立していくしかありません。
誰も自分のことを解ってくれないからです。

熊太郎がそんな苦悩を自ら喩えるシーンがあります。
獅子舞の獅子頭を被って狂ったように舞う場面です。
獅子頭の内側には舞う人の頭が入りますが、頭と獅子頭の間には隙間が出来ます。
その隙間は暗い闇で、闇の向こうに光(外界)が見えます。

世間の人は獅子頭など被っておらず、眼は直接外界と接しているが、自分は常に闇を挟んで外界と対峙している。
熊太郎は、そんなふうに、自分の苦悩を喩えます。
闇とは思弁であり、その暗闇でアタフタしているうちに、外界は映画のように経過していってしまうのです。

熊太郎の苦悩とは、世界とダイレクトに繋がれない者の苦悩です。
言葉を換えれば、自我、自意識を持ってしまった人間の苦悩です。
(自我、自意識は、自己と世界の分離から発生する意識ですから。)

このような苦悩は、今の時代を生きているわたし達にとっては、それこそ、生来のものです。
そう、ですよね?

わたしは物事をかなり単純化して書いていますが、本質的なところで間違いはないと思っています。
明治の初期、中期に生きた熊太郎の悩みは、少数派の悩みでした。
時代は、近代が始まったばかりの時期でした。
今は大多数の悩みであり、誰もが孤立、孤独に悩まされている時代です。
その違いを生んでいるのは、近代の成熟です。

近代を人間と世界の関係から考察すれば、分離が前提になります。
世界とは対象化、客観視するもので、自己と同一化するものではありません。
自己には世界と分離された自我、自意識があり、そこからアイデンティティ(自己同一性)の確立なんてことも出てきます。
近代において、世界に入っていくこととは、科学で世界を観察することです。
今では、これも当たり前のことですが。

話が抽象的、観念的になってしまいました。
ここで分かり易い例を出してみます。
あの、オウムの事件です。



オウムの無差別殺人とは、世界と繋がれなかった人々が起こした事件です。
正確に書けば、世界と繋がっていないと自覚した人間が、ドツボにハマッて引き起こした事件です。
そう、熊太郎と同じように、ドツボにハマッたのです。

オウムの信者は、(事件の被疑者を含めて)概ね自己の生き方を真面目に考えている人です。
テレビで見た荒木広報部長なんかは典型で、気弱で真面目な求道者です。
ではどうして、そういう真面目な人の集団が非道な無差別殺人を犯したのでしょうか。
このパラドックスを解く鍵は、どこにあるのでしょうか。

宗教はいつからか、専ら心の問題を扱うようになりました。
(大雑把にいえば、キリスト教等の世界宗教以降でしょうね。)
近代以降はそれが一層顕著になって、悩みがあると宗教の門を叩くようになっています。
宗教の発生から見れば、異様ともいえる事態ですが、そうなっています。

オウムの信者が、自己の利益だけを考えて殺人を犯したかといえば、そうではありませんでした。
あるところからの思し召しがあって、それを実行しただけです。
あるところとは、神か神の代理人です。
神か神の代理人の通達は、自己と世界を繋いでいるものです。
つまり、殺人によって(自己を含む)世界がより良い方向に進む、と信じたからですね。
それによって、世界とより強く繋がる、と考えて実行したのです。

心の問題を突き詰めていくと、自己と世界の問題になります。
切断されているものの関係を、修復、回復しようとすることです。
これをムード(情緒)で何となく回復しようとするのが、例の「癒し」です。
良くは分からないけど、何となく自分を取り巻く世界が優しくなったような気分がする、です。
これはさして薬にはなりませんが、毒にもなりません。
ま、安全です。

怖いのは、心の問題(自己と世界)を、ひたすら真面目に掘り下げていくことです。
なぜ危ないかといえば、心とは元々が不確かなものだからです。
不確かな基盤の上で、思考だけがどんどん進行すると、落とし穴に入ったことも気が付かない。
落とし穴とはドツボのことで、あがけばあがくほど、深い穴に落ちてしまう。

熊太郎は中途半端なヤクザでしたが、根は真面目な男でした。
自身の悪業を善行で償おうとして、悪戦苦闘の末、大量殺人の道に進んでしまいます。
山中に逃げた熊太郎は、義兄弟の弥五郎に自分の本当の本当の気持ちを述べる場面があります。
熊太郎は、熊次郎や縫や縫の母にむかついて事に及んだのは半分で、後の半分は神の意志だと語ります。
だからといって、熊太郎が狂気で事に及んだわけではありません。
何しろ、熊太郎は極度に思弁的で、その思弁の果ての凶行ですから、まったくの正気です。

熊太郎が幻視した神は、日本古来の神のようなものですが、既に抽象化された実態の乏しいものです。
自己の内面で、思弁の堂々巡りを繰り返さざるを得ない熊太郎は、そのような神の残骸が唯一世界との接点でした。

「告白」のクライマックスは、熊太郎の死の直前の「告白」です。
弥五郎に心の内を洗いざらい語った後、熊太郎は弥五郎も射殺してしまいます。
弥五郎が恨みを抱いて命を狙っている一家を助ける、という思弁で。
(弥五郎は助っ人ですが、彼も恨みを晴らしたい相手があり、熊太郎が手伝う手筈でした。)
が、すぐにそれが偽善的な自己救済と気が付き、銃口を自身に向けます。

この時、熊太郎は自分がドツボにハマッていたことを悟り、それに終止符を打つ決意をします。
悟った上で、最後の最後には「本当のこと」を言いたいと願います。
(弥五郎に語った言葉にも懐疑があって、満足を得られなかったのです。)
「本当のこと」を、心の奥底に探ろうとします。



「あかんかった」。
熊太郎の最後の言葉です。
熊太郎の心の中には何にもなくて、曠野だけが広がっていたのです。
涙があふれて、息のような声で、最後に熊太郎は洩らしたのです。
「あかんかった」。

心の中には何もなかった。
ドツボとは、その何もないところで、何かを得ようとしてあがき続けることです。
心の中に「本当のこと」があるのかどうか、わたしには分かりません。
本当の本当のところの自分の思いがあるのかどうか、定かではありません。
もしあったとしても、それを本当だと証明することは出来るのでしょうか。

デカルトは、すべてを疑った末に「我思うゆえに、我在り」に達しました。
熊太郎は、すべてを疑った末に「あかんかった」になってしまいました。
この違い、この距離とは何でしょうか。

心や意識の哲学的分析は、わたしの得手とするところではありません。
わたしが感じて、思うのは、熊太郎の最後の言葉の重いリアリティです。
十人もの人間を殺害し、最も心を許せた義兄弟の弥五郎を殺し、あげくは自害する男の最後の言葉。
心の中の「本当のこと」を求めた修羅の、最後の言葉。

熊太郎は、少年時代から自己と世界の分断を自覚し、悩んできました。
それを繋ごうとして、心の奥底まで降りていきました。
決して本人が望んだことではなく、そういう運命を背負ってしまったのです。
「河内十人斬り」の裏面(ダークサイド)がその過程で、それは近代以降の人間の苦悩と重なります。

心の中の「本当のこと」を知りたい為に、「人を殺す」としたら、心の中は闇です。
闇にそういう落とし穴(ドツボ)があるということです。
そこに落ちたのが、熊太郎やオウムです。
しかし、人間の心が最初から闇であったかどうかは疑問です。
(見方を変えれば、人間において自己と世界の分断はどうして起きたか、です。)

「告白」の中ほどに、盆踊りの場面があります。
盆踊りとは死霊を慰める儀式ですが、河内地方では当然、河内音頭です。
河内音頭の粘りのあるリズムと反復するビート。
娘を目当てに出かけた熊太郎ですが、踊っているうちに忘我、トランス状態になります。
そこで、熊太郎は世界との一体感を覚えます。

エピローグも河内音頭の場面で、これは現代です。
雑多な群衆が狂熱する中を、熊太郎の魂が漂うところで、「告白」は終わっています。

町田康はパンク(ロッカー)で、詩人で小説家です。
そのすべてが詰まったのが、「告白」です。
パンクは産業化したロックに、ロックとは何かを迫った音楽です。
「ロックでなければ何でも良い」、という反語的スローガンで。

河内音頭はロックではありませんが、根っこの部分は同じです。
俗、です。
通俗の俗で、民俗の俗です。
河内音頭もロックも、俗な音楽です。

俗な音楽の力(パワー)。
遥か遠い昔から、人を慰め、人を熱狂、開示させた俗な音楽の系譜。
町田康はそれを信じて、虚無的な小説「告白」を書いたのではないでしょうか。
「告白」が、どこかしらトラッドなエンターテイメントに近く、無類に面白いのは、多分その所為でしょう。
観念と意識の懐疑に対置させた、俗な音楽。
それが、「告白」の読後に強く印象に残りました。

やはり、この小説は町田康にしか書けなかった、傑作な小説です。

<第七十一回終り>