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iの研究



第五十四回 <飢餓>の研究


飢餓という言葉に聞いたとき、貴方はどんな感じを想像しますか。
お腹が空いて死にそうな状態、飢えている状態。
そんな感じですね。
漠然とそういう状態を想像できても、実感としての飢餓は経験がないと思います。
もちろん、わたしもありません。

想像力で飢餓を捉えようとしても、その遥か向こうに飢餓はあるような気がします。
飢餓状態の人間の心理が捉えきれないのです。
今の日本では、飢餓は想像力の範疇を超えたところに存在しています。
日本から世界に眼を転ずれば、飢餓は想像の世界ではなく現実の世界です。
拉致問題で揺れる北朝鮮をはじめ、アフリカや南米では珍しいことではありません。

飢餓が日本で現実的でなくなったのは何時頃からでしょうか。
1960年代、ぐらいからでしょうか。
戦中から戦後にかけて、多くの日本人は飢餓を実感として経験しました。
その経験が過去になろうとしたとき、一本の映画が制作されました。
「飢餓海峡」。
監督は内田吐夢、1965年制作、公開です。

わたしが古い日本映画を観るのは、NHKの衛星放送かレンタルビデオです。
レンタルビデオは新作中心に借りますが、観たいビデオが貸出中だったり、観たい新作がないときは古い日本映画や洋画のコーナーに移動します。
主にDVDのコーナーで探します。
まだそれほど点数が多くないので、選ぶのに手間がかからないからです。

昨年の春にノートのパソコンを購入しましたが、光学ドライブがDVD-ROMで、それで映画を観てました。
モニターがワイドだったので結構イケたのですが、音がチープなのと、姿勢が固定されるのが難でした。
電器屋にDVDプレーヤーを見に行くと、一万円台でそこそこのものが買えます。
予算で適当に選んで、その後はDVDを中心に映画を観ています。
画質が安定していますし、DVDの特典映像には時々面白いものがあります。

繰り返し観るという性癖がないので、DVDもテープ同様レンタル中心です。
旧作観賞のヒット率は新作に比べるとかなり高いのですが、時には大ハズレもあります。
先日借りた「イージー ライダー」。
(これはDVDがなくてテープでしたが。)

公開時に学生だったわたしは、有楽町のスバル座で立て続けに二回観ました。
三十年ぶりに観てみると、これがホントにツマラない。
当時斬新だといわれた映像も、今観れば退屈なだけ。
あの興奮は何だったのだろうか、と自問するだけでした。
その時に見たから面白い、という映画もあることに今さらながら気づきました。

さてさて、助走が長くなりました。
「飢餓海峡」は、傑作です。
三時間強の長尺ですが、飽きもせず二度観ました。
三国連太郎、左幸子、伴淳三郎、そして高倉健。
前三者の迫真の演技に引込まれました。



「飢餓海峡。
それは日本の何処にでもみられる海峡である。
その底流にわれわれは、貧しい善意に満ちた人間の、ドロドロした愛と憎しみをみることができる。」
映画冒頭のナレーションです。

このナレーションで、映画がドキュメンタリータッチで社会的であることが予想できますね。
この予想は概ね外れませんでした。
同じく冒頭で「東映W106方式」という大々的なクレジットが出ます。
劇中ソラリゼーション(白黒の反転)が時々あるので、そのことかと思いましたが、後で調べると16ミリで撮って35ミリに変換する技術でした。
映像の粒子が荒れを逆利用して、ドキュメンタリーな映像を作ったということです。
手持ちカメラの揺れをドキュメンタリー仕立てにした、「ブレアウィッチ プロジェクト」と同じ手法です。

「飢餓海峡」は社会的な映画ですが、わたしが魅かれたのは登場人物の心の交錯です。
犬飼多吉のちの樽見京一郎(三国連太郎)と杉戸八重(左幸子)の間にある心の問題。
有り体にいえば、「愛」です。
「純愛」です。
ここに魅かれて、二度も観てしまいました。

原作の小説もベストセラーで、原作者は水上勉です。
わたしは原作を読んでいませんので、話を映画の「飢餓海峡」に限定します。
「飢餓海峡」の飢餓は、貧困がもたらす物理的な飢餓と心の飢餓を重ね合わせいます。
今回は心の飢餓に重心を置いて考察してみたいと思っています。

この映画(原作)の特異性は、フィクションに実際の事件に織り交ぜ、ミステリーの体裁をとっていることです。
謎解きの面白さがあります。
昭和29年(1954年)に台風で青函連絡船洞爺丸が遭難しています。
この時遭難したのは洞爺丸以外にも四隻ありましたが、死者1420名の大半は洞爺丸の乗客でした。
同時期に道内の岩内(いわない)で火災が発生し、台風の強風で全町を焼き尽くす大火になりました。
この二つの事件にフィクションを絡ませて物語の発端とし、時代を七年前に設定したのが「飢餓海峡」です。

<物語>
昭和22年、北海道岩内の質店で強盗殺人放火事件が発生する。
同日、台風10号のため青函連絡船が遭難する大事故もおこる。
そのどさくさに紛れ、夜の津軽海峡に消えた怪しい三人組の男。
三人組の一人、犬飼は逃亡中の森林軌道で娼妓八重と知合う。
下北大湊(おおみなと)の八重の妓楼で束の間の情交の後、犬飼は大金を残して消える。
所轄函館署の刑事弓坂(伴淳三郎)は執念で犬飼の後を追う。
犬飼への恩を心の支えとして、ひた向きに生きる八重。
10年後、東京亀戸の娼妓となっていた八重の目に犬飼(樽見)の新聞記事が。
舞台は京都の舞鶴に移り、篤志家で事業家の樽見京一郎の家を訪ねる八重。
翌朝、八重は樽見の書生と心中死体となって海岸で発見される。
捜査の中心は東舞鶴署の味村捜査係長(高倉健)。
既に辞職していた弓坂も巻き込んで、二つの事件の真相が徐々に明らかにされていく。

昭和22年は終戦から二年目です。
戦後の混乱期であり、食糧の窮乏がいちじるしい時代でもありました。
ある検事が闇米に手を出さず配給米だけで餓死した事件も、このころだったような記憶があります。
飢餓が現実的だった時代です。

青函連絡船の遭難者は乗客名簿から割り出され、遺族に引き取られますが、引き取り手のない遺体が二つ。
この遺体と岩内の事件が結びつき、弓坂は三人組の二人が仲間割れで殺されたと推理します。
遭難救助の混乱を利用して、函館の浜で小舟を手配し、本土逃亡中の海上で事件が起きたと。
残る一人は、事件前三人組が宿泊した温泉の宿帳に犬飼と記した、無精髭で六尺(180cmぐらい)の大男。
この男を追って弓坂は、津軽海峡を渡り下北半島に上陸します。

犬飼は無我夢中で恐山までたどりつき、森林軌道(鉄道)に乗り込みます。
乗り合せた老婆が床のシケモク(捨てられたタバコ)を拾ってキセルに詰めます。
犬飼は懐からタバコ一箱を差し出し、「オレはのまないから」と老婆にあげます。
タバコをのむ(飲む、あるいは呑むか?)といった時代がありました。
今でもイナカでは年配の人はそういいます。
それはさておき、このタバコは犬飼が仲間とみられる二人から貰ったものでした。

車中の前のほうで握り飯を食べ始める女。
八重です。
八重は物欲しそうに見ている犬飼の側に行って握り飯を勧めます。
先ほどの老婆とのやり取りを見ていて、「あんた、親切な人ね」と語りかける八重。

この「親切な人」は、現代に翻訳すれば「良い人。」に近い言葉です。
自分一人が生きていくのが精一杯の時代、親切は身に染みますね。
親切は余裕のある生活があってこそできる行為です。
人を押しのけても生きなければならない時代の親切は貴重ですが、この場合はそれプラス男女の愛情が含まれています。

八重は恐山でイタコに母を呼びだしてもらった帰りと話しますが、実は犬飼はその場面を偶然覗いています。
死者を呼び戻す恐山の信仰はラストの伏線になっています。

なんとはなしに道中が一緒になって、大湊の八重の妓楼に上がり込む犬飼。
遊女と客という関係ですが、嵐の中、一度限りの情交をもちます。
八重に膝枕で手の爪を切ってもらう犬飼。
右手の親指の欠損を訊ねられ、トロッコの事故と説明します。
二人の親密さが丁寧に描かれているシーンです。
腹ばいになって、「あんた、親切な人やね」とつぶやく犬飼。
「I Love You」が、一致したわけです。

勘定を済ませ部屋を出る犬飼ですが、カバンの中から一掴みの札束を引き抜き、新聞紙に包んで八重に渡します。
新聞紙を開け、中の大金に驚いて後を追う八重ですが、犬飼の姿は既にありません。

翌日一足違いで妓楼を訪れ、犬飼の足跡を妓楼主に問う弓坂。
湯治場で、妓楼の借金を精算して上京すると父に告げる八重。
八重を追って湯治場まで来た弓坂は犬飼のことを訊ねますが、人違いと否定されます。
この時、八重は犬飼とあの金が尋常でないことに確信を持ちます。
確信を持ちますが、心に秘めて誰にも明かさない決心も固めます。



この後、映画は上京した八重の生活を中心に話が進みます。
戦後の動乱期と八重の流転が重ね合わされて描写されます。
飲屋の客引き兼女給から、結局は亀戸で娼妓の生活に戻ってしまう八重の心中が、ここで明らかにされます。

犬飼から渡された大金は借金清算と家族に分け与え、残りには手を付けず貯蓄に励みます。
お金を増やして、犬飼に再会することを夢見る八重。
会って、お礼がいいたいのです。
自分や家族を救ってくれた犬飼にお礼がいいたい、その時の証として残りの金を大切にしているのです。
増やすことは、犬飼の恩に、愛情に、報いることなのです。
お金と、それが包んであった新聞紙と、懐紙に包んだ犬飼の親指の爪を後生大事にしまっている八重。
八重の一途な性格、愛情が分かりますね。

八重を追って東京まで足をのばした弓坂ですが、都会の広さに足を阻まれて捜査は頓挫します。
売春防止法の施行前で落着かない妓楼。
八重はふと眼にした新聞記事の写真に、犬飼そっくりの男を発見します。
京都舞鶴の篤志家樽見京一郎の記事です。

樽見家を訪ねる八重。
裕福な家の応接間で八重は樽見と面会します。
樽見は土地の事業家で、犬飼の居住まいとは正反対の紳士然とした人物です。
会った途端から犬飼であることを確信した八重に対して、人違いを繰り返す樽見。
迷惑そうな素振りと、無下にできない何かで落着かない樽見。
この時、夏の俄雨が窓を濡らします。
窓を閉めようとした樽見の手が、落雷の一瞬明るさで晒されます。
親指の欠損した手が。
あの情交の時のような嵐の中で。

樽見に抱きつき、「やっぱり貴方は犬飼さんだ!」と泣き叫ぶ八重を抱きしめる樽見。
抱擁が束の間続き、樽見は抱いた手に力を込め始めます。
「ボキッ」、という首の折れる不気味な音がして八重は崩れ落ちます。

自分の境遇に光を差してくれた犬飼にお礼をいいたい。
そのことを生き甲斐にして、けなげに生きてきた八重です。
その相手に、「人違い」といわれれば、哀しいですね。
相手にどんな事情があろうとも、お礼に正面から向かい合って欲しかったのですね、八重は。
たとえ一言でもいいから、応えて欲しかった。
その為に辛さを我慢して生きてきたのですから。

ここにあるのは、「純愛」です。
お礼とは、「親切な人」に対する無償の愛の表現です。
今や恥ずかしくて口に出せない「純愛」が、ここにあります。
映画というフィクションの中ですが、愛するという、ある種飢餓状態の極限がここにあります。

その後現場を目撃した書生も殺害し、嵐の中、樽見は二人をクルマで海岸まで運んで心中に見せかけます。
ここまでで、映画は二時間経過。
冒頭のクレジットで見た高倉健はいつ出るのかと思っていたら、海岸の捜査現場でやっと登場しました。
若き捜査主任、味村の役です。

この映画は濃い役者の濃い演技が見どころですが、ちょっと息苦しい。
高倉健は一服の清涼剤。
一直線に奔る若き刑事が、息苦しさを開放して物語に拡がりを与えています。
青春映画に渋い脇役を配して陰影をつける場合の逆です。

不自然な心中と、遺体の八重が所持していた例の新聞記事の切り抜きから、疑惑は次第に樽見に向けられます。
八重の父の供述から、元函館署の弓坂まで線が延び、事件は岩内の一家惨殺事件との関連にまで進展します。
東舞鶴署の要請で、味村に帯同された弓坂が北海道からやってきます。

行き詰まりつつあった捜査の突破口を開いたのは八重の遺品です。
後生大事にしていた古新聞と爪、そして仲間二人と泊まった温泉旅館の宿帳の筆跡。
古新聞は、青函連絡船の遭難と岩内の大火の記事で埋め尽くされています。
爪。
大男の大きな指に相応しい、大きな爪。
八重が、それを犬飼自身に見立てて慈(いつく)しんできた爪です。



窮地に陥った樽見は岩内の事件の真相を告白します。
仲間二人は日雇い仕事で知合い、その金で行った温泉場で二人が網走刑務所の刑余者だと知った。
強盗放火殺人事件は二人の犯行で、海上逃亡中にその二人の仲が割れ、自分も殺されそうになって正当防衛を行使した。
つまり、犯行は否定して横領だけを認める告白です。
当然のことながら捜査陣はこの供述を認めません。
あまりにも都合の良い話だからです。

しかし、映画を観ている人はこの告白が真実かもしれないと思うでしょう。
肝心な点は描写されていませんが、前後関係から真実に近いと思えるからです。
結局、映画は真相が明らかにされないまま終りますが、わたしは樽見の告白を真実だと思います。

京都の寒村から大阪に丁稚奉公、一旗揚げるつもりで北海道に渡った樽見。
あの大金を握るまでは、やることなすこと裏目で、貧しい生れから逃れることのできなかった樽見。
横領した大金を元手に真面目にコツコツと事業を拡げていき、故郷では立志伝中の人物と崇められる樽見。

犬飼は夜の津軽海峡を手漕ぎの小舟で渡りきり、辿り着いた下北の仏ケ浦(ほとけがうら)で船を解体して、たき火をします。
過去の自分を葬り、新しい自分の誕生を記す儀式のようなものです。
犬飼の後を追って仏ケ浦に足をのばした弓坂は、そのたき火の灰を後生大事に持っていました。
八重が犬飼の爪を持っていたように。

弓坂は迷宮入りとなった事件の責任から退職を余儀なくされ、今は少年刑務所の刑務官を務めています。
貧しい平(ひら)の刑事一家の生活は一層厳しくなりました。

「飢餓海峡」は、犬飼/樽見、八重、弓坂の三者の関係が物語の軸です。
三者に共通するのは、貧しさと、貧しさにもかかわらずひた向きに生きたことです。
しかし、偶然の出会いがこの三人の運命を狂わせてしまう。
飢餓と隣合わせの貧困が現実であった時代。
そういう時代を舞台にした映画です。

樽見は、告白を認めないかぎり八重と書生の事件には口を開かないと宣言します。
捜査への挑戦と受け取った捜査班は策を練りますが、持久戦に持ち込むことで糸口を掴もうとします。
役目を果たし、今夜が舞鶴最後となった弓坂は留置所で樽見と面会します。
仏ケ浦の灰を見せ、八重の心情を樽見に滔々(とうとう)と諭します。
八重は樽見(犬飼)の秘密を絶対に漏らさなかっただろう、と。
あなたは、大切な唯一の味方を殺した、と。
弓坂には八重の哀しい心情が解っていたのです。

あの時、樽見は抱きつかれた八重の身体を抱きしめました。
「親切な人」が「親切な人」を抱きしめたのです。
ホンの数秒の抱擁の後の殺意。
犬飼という過去を捨て、新しい樽見が生れた仏ケ浦。
それを守ろうとしたのです。
飢餓の恐怖から一生逃れるために。

弓坂が持参した灰を目の前にした時、樽見は自分の犯した過ちの重大さに気がつきます。
恐らく一生癒されないであろう、心の飢餓に気がついたのです。
それは、心の地獄です。

自暴自棄になって、弓坂に、一緒に北海道へ連れていってくれと叫ぶ樽見。
北海道のことは全部知っている、と叫ぶ樽見。

護送列車から、シーンは青函連絡船の甲板へ。
八重への献花二つを手にする弓坂。
樽見にその一つを渡します。
一つを海中に投じ、読経する弓坂。

捜査官の許しを得て、献花を海中に投じようと前に歩きだす樽見。
そのまま勢いをつけて、あっという間に身を海に投ずる樽見。
樽見の身体は、瞬く間に船の白い波線にかき消され、海中に没します。
水平線の向こうに見えるのは、恐山。
死者を呼び戻す恐山です。



映画はここで終わりです。
「飢餓海峡」は貧困をベースとしながらも、物質よりも大切な何かをテーマにした映画です。
このテーマ自体は、ありきたりといえばありきたりですが、「飢餓海峡」の深度は別格です。
貧困の切実さがキッチリと描かれた上での、何かなのです。

八重の生きる喜び(犬飼への愛)は、善と悪を超越したものとして描写されています。
その喜びが無残に踏みにじられる残酷な現実も描かれています。
しかも、当の愛する男によってです。

この殺害シーンは白眉です。
抱擁して、力を込める樽見、締めつけられて苦しむ八重。
「ボキッ」、という音ともに崩れる八重。
床に落ちた八重を見て、自分が何をしたのか分からない樽見。
微笑んだ表情の唇から血を流して息たえる八重。
大湊の情交の再現ともいえるシーンです。
愛憎の極致です。

飢餓というのは満たされていない状態のことです。
物理的な飢餓は食物で解決されます。
日本の現代は、飢餓から解放された史上唯一の時代という言説があります。
現代以前では常に飢餓の恐怖があったという言説です。
これはちょっと疑わしいですね。

何故なら近代以降の大量飢餓は人為的要素の強いものだからです。
これは以前にガンジーの著書の研究で指摘したことです。
近代以前の飢餓は局所的で、しかも餓死者の数はずっと少なかったと想像されます。
日本の現代についても、その土台は脆弱で、いつ飢餓の恐怖が襲ってくるかもやしれません。
砂上の楼閣で安心しているにすぎません。

確かに、物質的に日本が豊かになったのは事実です。
豊かになったが、満たされない。
飢餓状態ですね。
心の飢餓状態です。
「飢餓海峡」のテーマである、何かが、満たされないのです。

恒常的な飢餓状態を作りだして、そこに市場を形成する。
マーケティングの基本です。
そういう操作によって、わたし達が常に飢餓状態の置かれているのも事実です。
その市場が、モノから心の領域にシフトされています。
人為的な心の飢餓に置かれているわけです。

そういう状況を踏まえて、ここで満たされない心の飢餓の実体について考えてみます。
生身の人間、裸の人間、これを想像して下さい。
では逆に、オブラートに包まれた人間、心地よい薄い膜に包まれた人間を想像して下さい。
貴方はどちらですか。

わたしは、後者です。
わたしと生や死の間には、磨りガラスのように視界を遮るものがあり、仄かな明かりの向こうにそれがあります。
臭いもなければ、触覚も定かではなく、聞こえるのは加工補正された音響だけ。
遠い世界に生と死があり、清潔でシステマティックな装置が生と死を包んでいます。

生身で裸である人間にとって、生と死は身近な恐怖です。
その恐怖から逃れるために、人間は全身と知力を使います。
想像力も使います。

わたし(わたし達)は恐怖から逃れるために防御層を築きました。
薄い被膜からなる、何層もの防御層です。
恐怖を遠ざけた代償は、不安です。
いつの間にか防御層の向こう側の実体が分からなくなってしまったのです。
そこに存在するものが何であったか・・・・。


「飢餓海峡」が物語の背景に恐山信仰を据えたのは周到ともいえます。
「飢餓海峡」はギラギラするような人間の愛憎ドラマですが、制作された1965年はそういう生活が漂白されつつあった時代です。
飢餓と別れを告げ、薄いベールを身体にまといだした時代です。
恐山信仰も過去の奇習として葬り去られようとした時代。

飢餓は避けたい事態です。
避けたい事態ですが、それと引き換えに根こそぎ失われようとしていたものもあります。
内田吐夢の意図は、その失われるものへの喚起だった思います。

モノクロームのシネマスコープに延々と映し出される津軽海峡の海。
映画のラストシーンです。
犬飼と八重。
二人は、海の底で再会したのでしょうか?

<第五十四回終わり>





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