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iの研究


第四十一回 <ペパーミント・キャンディー>の研究


ペパーミント・キャンディーを口に入れると、突き抜けるような爽快感とほんのりとした甘さが広がります。
この味は独特ですね。
今は知りませんが、カルピスのキャッチフレーズは「初恋の味」でした。
ペパーミント・キャンディーも「初恋の味」かもしれません。
あるいは、「青春の味」かもしれません・・・・。


このところ立て続けに韓国映画を二本ビデオで観ました。
どちらも重い映画で、一般的にはビデオ観賞に向かない映画です。
ビデオは家庭で観るものですから、重くて深刻な映画は家人に嫌われます。
にもかかわらず、わたしは重くて深刻な映画をビデオで観てしまいます。
まぁ、わたしはそういう映画が好きな困ったヤツなんでしょうねぇ。
(今は単身赴任状態で、幸い嫌ってくれる人もいませんが。)

その二本とは、観た順序からいえば「ペパーミント・キャンディー」、「JSA」です。
共に韓国で大ヒットした映画です。
どちらも韓国社会が物語の背景になっています。
前者は、近代化を推し進め経済成長を遂げた韓国。
後者は、依然として民族が南北に分断されている朝鮮半島の韓国です。

二作とも社会性の強い映画です。
でも御心配なく、どちらの作品もミステリー(謎解き)的な構造を持っていますから退屈することはありません。
特に「JSA」は韓国系のスイス軍人が探偵の役回りで、板門店で起きた怪事件を推理します。
この軍人は女性で、しかも絵に描いたような美人です。

そういった設定自体はリアリティに乏しいのですが、この映画の場合、娯楽作品的アプローチが逆に物語に幅を持たせることに成功しています。
「JSA」は男の映画ですから、この美人は主人公達の真中(中立国の軍人ですから、勤務地も三十八度線の真中です)にいても脇役に過ぎません。

さて、今回は先に観た「ペパーミント・キャンディー」を考察します。
この映画も観客に謎を投げかけます。
映画は一人の男の自殺から始まります。
何故男がそういう運命をたどったかという謎を、時間を遡ることで徐々に観客に明らかにしていきます。
過去へ遡る、つまり時間の旅がこの映画の主軸です。

わたしも、この映画になぞってストーリーを追いながら考察の旅をします。
よろしかったら、お付き合い下さい。


映画は暗闇から始ります。
タイトルやスタッフ/キャストの文字が映されていく間に、暗闇に白い点が見えてきます。
その点は加速度的に大きくなって画面の多くを占めるようになると、それがトンネルの出口であることに気がつきます。
下に二本のレールが見えますから、列車のトンネルです。
ここから旅は始ります。

ピクニック 1999年 春


鉄橋を列車が通過します。
鉄橋の下で疲れた男(キム・ヨンホ)が仰向けに寝ころんでいます。
男は四十才前後でしょうか。

河原では中年の男女がディスコやカラオケに興じています。
その中へ男が強引に割り込んでいきます。
男と男女は昔馴染みでした。
二十年ぶりの再会のようです。

和やかな雰囲気の中で一人だけ荒れていた男は、気がつくと鉄橋の上にいます。
迫り来る列車に向かって、男は両手を広げて叫びます。
「帰りたい!」、「帰してくれ!」。

男はどこに帰りたいのでしょうか?

山間を列車が走るシーンに変わって、暗転。



3日前 1999年春 カメラ


雨の中、クルマを走らせるキム・ヨンホ。
カーラジオの告知板(視聴者のお知らせコーナー)で、二十年前同じ工場で働いていた人々の集いが放送されます。
二十年前のピクニックを、当時と同じ場所で再び開催するというお知らせです。

海岸べりの道路で拳銃と金の受け渡しをするキム・ヨンホと男二人。
キムはその拳銃で自殺を図りますが、不発で失敗します。
元共同経営者を襲ったり、別れた妻のアパートにも行きますが、中にさえ入れてもらえません。
キムは廃虚のような住居に帰ります。
そこに待人が。

キムは自分の荒れた生活を見せつけ、自分をこんな境遇に貶めた株屋、サラ金、友人の共同経営者、妻を呪います。
話を黙って聞いていた男は、キムの初恋の女性(ユン・スムニ)の夫と名乗ります。
男は、「スムニが貴方に会いたい」と伝え、同行を促します。
どうやらスムニは重病のようです。

男と男の子供の車に同乗したキムは、途中で見舞いのペパーミント・キャンディーを買います。
病室のスムニは、既に意識がなく、人工呼吸器を口にくわえて苦しそうな表情で呼吸をしています。
キムはスムニに話しかけます。

「スムニ、これは軍隊にいた時に手紙と一緒に送ってくれたペパーミント・キャンディーだよ」。
「あの頃と同じペパーミント・キャンディー」。
「ごめんね、スムニ」と、泣きながら詫びて病室を去るキム。
意識がないはずのスムニの目尻から、ゆっくりと一筋の涙が。

病院を出ようとするキムに、スムニの夫が古いカメラを渡します。
「これは、貴方のものだとスムニがいってましたから」。
そのカメラを古物商に二束三文で売り、中に入っていたフィルムを開いて泣き崩れるキム・ヨンホ。

場面は再び、列車のシーン。
最初と同じく、静かな音楽が流れます。
列車のシーンは、流れるように美しく、観る者を懐かしい気持ちにさせます。
このシーンが、章(チャプター)の繋ぎになっているようです。
注意して見ていると、線路脇の道路の車は逆走しています。
この映像は列車の最前部から前の風景を映したものだと思っていましたが、実は最後部から後ろを撮った映像です。
それを、逆回しにしているのです。
時間を遡るように、この列車のシーンのフィルムも現在から過去へとまわっているのです。

男が自暴自棄になって鉄道自殺を図った理由の一端はこの章で分かりました。
ペパーミント・キャンディーとカメラ?
そして、キム・ヨンホは何故スムニに詫びたのでしょう?


人生は美しい 1994年 夏


車中で携帯電話をするキム・ヨンホ。
口調から、キムがいささかバブリーな実業家であることが分かります。
会社の事務所で鼻歌を歌いながら共同経営者と談笑するキム。
景気がいいようです。

キムは探偵を使って、妻が自動車教習所の教官と不倫をしていることを突き止め、現場に踏み込みます。
そのキムも、会社の秘書と不倫を重ねています。
情事の後で秘書と立寄った飲食店で、キムはある男と出会います。
意味あり気な過去を包み隠して会話をする二人。
どうやらキムは、二年前までは警察官だったようです。

飲食店のトイレで隣り合った先ほどの男にキムは訊きます。
「人生は美しい」、だろ?

キムの自宅です。
会社の慰労会のようです。
でも、家庭の不和が雰囲気を気まずいものにしています。
不機嫌なキムは途中で退席してしまいます。

生活の豊かさと引き換えに何かを失いつつあるキム。
全てを所有しながら、そこここに綻びがみえるキムの生活です。

「人生は美しい」、謎の言葉です。
又、その言葉を放ったと思われる男は何者でしょうか?

再び、列車のシーン。
流れる風景の中で、線路脇に人が立っているのが微かに分かります
章が変わります。


告白 1987年 春


借家で身重の妻と暮らしてる、キムの家庭の朝です。
まだ結婚してそれほどたっていない時期でしょう。

公衆浴場に張り込んでいたキムは男を逮捕します。
男は、後に飲食店で偶然出会う男です。
キムは公安関係の刑事のようです。
厳しい取り調べを開始するキム。

男に拷問で告白を強要するキムと同僚。
男と繋がる反体制の大物の所在を告白させたいようです。
中座してナイトクラブで憂さを晴らす刑事達。

署に戻り、拷問の苦しさに負けて告白した男に訊ねるキム。
お前の日記に「人生は美しい」と書いてあったが、そう思うか?
答えない男。

男の告白に従って、グンサン(韓国の地名)で車中の張り込みをする刑事達。
長期戦を予想して、交代で張り込むことになります。
非番となったキムは、雨の中、とあるスナックに入ります。
そこで、「スムニを知っているか?」と女に訊ねます。
スムニはグンサンの出身だったようです。
女に、「スムニは初恋の人」とキムは告白します。

女と寝た後、張り込みに戻ったキムは他人事の様にうつろな表情で逮捕劇を見ています。
車の後部座席に座る、袋叩きにあった血まみれの被疑者。
その横でうつろな表情から戻らないキム。

男が日記に書いた、「人生は美しい」はこの映画のキーワードです。
キムは、仲間を売って敗残者となった男にダメを押すかのように訊ねます。
それでも、人生は美しい、かと?
キムの人生は、美しかったのでしょうか?
キムの告白は、美しかった人生と関係があるのでしょうか?

列車のシーン。
季節は、章のタイトルと同じ季節です。



祈り 1984年 秋


警察署の前の食堂の空き地。
自転車の練習をする若い女(後の妻)。
女は食堂で働いています。
新米刑事とおぼしきキムは女に自転車の乗り方を教えます。

初めての尋問に臨むキム。
その表情には後年の酷薄さは微塵もありません。
惨めな尋問を終えると、面会を知らされます。
面会場所は女の勤める食堂。

面会者はスムニです。
やっと尋ね当ててきたようです。
軍隊にも面会にいった、と話すスムニ。
斜(はす)に向いてスムニを見ようとしないキム。

別人のようなキムに驚きながら、キムの優しい手が好きだと言うスムニ。
その手を食堂の女の尻にまわすキム。
残酷なシーンです。

事情を悟ったスムニはキムにカメラを渡します。
コツコツ貯めたお金で買ったカメラです。
カメラは、キムとスムニの過去に関係があるようです。
帰るスムニを駅まで送ったキムは、列車が動くと、カメラをスムニに返します。

その夜、キムは食堂で催された署の宴会に自転車で突っ込み、暴れます。
キムは狂ったように軍人の口調で先輩刑事に命令します。

食堂の女の寝室。
初めて結ばれようとしている二人。
その前に、祈りを捧げる女。
キリスト教の祈りです。

列車のシーン。


面会 1980年 5月



軍隊の基地。
女(ユン・スムニ)が門衛の兵士に面会を求めますが、非常事態宣言を理由に断わられます。
スムニと兵士が会話していると電話がなります。
兵士は慌てて銃器をとります。
出動命令が下ったようです。

慌ただしく出動態勢をとる兵士達。
キムは出遅れて上官の叱責を受けます。
私物入れから床に散らばるペパーミント・キャンディー。
それを見て、一層怒る上官。

車で輸送される兵士達は、道を歩いているスムニを見て囃(はや)します。
含羞むようにスムニは下を見ます。
兵士の中のキムも気がつきますが、遠ざかるスムニに声をかけることはできません。
今は緊急出動中、そうであれば尚更です。

夜。
市街戦です。
市民と兵士が撃ち合っています。
キムは連隊からはぐれ、鉄道の保線区に迷い込みます。

足を撃たれ、動きのとれないキムの前に人が。
親戚に遊びにいった帰りの女子高校生です。
戒厳令下ですから、捕まると大変なことになります。
許しを請う高校生に、早く立ち去れと叫ぶキム。

動きそびれた高校生をキムは誤射してしまいます。
銃声と同時に兵士が群がってきます。
動かなくなった高校生を抱いて、号泣し続けるキム。

市街戦は光州事件です。
(これについては後述します。)

最後の列車のシーン。


ピクニック 1979年 秋


ピクニックです。
そう、二十年後と同じ場所です。
歌を歌いながら歩く若者たち。

河原の花を見つめるキム。
遅れて歩いてきたスムニが話しかけます。
恥ずかしそうな二人です。

「いつかカメラを担いで、名もない花を撮り続けたい」と話すキム。
スムニはキャンディーをすすめます。
ペパーミントのキャンディーです。
スムニは、工場で一日千個も作っていると話します。

キムは、この場所は初めて来た場所なのに前にも来たような気がすると語ります。
スムニは、それはきっと夢で来た場所かもしれないと応えます。
そして、その夢がいい夢だと良いけど、と付け加えます。

スムニに花を渡すキム。
恥じらうスムニ。

輪になって座りフォークソングを歌う若者たち。
歌いながらお互いを気にするキムとスムニ。

輪を離れ鉄橋の下で仰向けに寝ころぶキム。
上を見上げて深い思いにふけるキム。
万感が迫ったような表情のキム。
列車の走る音が徐々に聞こえてきます。
キムの顔のアップ。

ストップモーション。
暗転。



映画の最初の暗闇はキムの死後の世界です。
そこから小さな点が現れて、トンネルを抜けると、キムの生前に時間が遡ります。

人が死ぬとき、一瞬にして過去を映画のように見るといいます。
キムの死の直前から二十年前までを、文字通り映画にしたのがこの映画です。
つまり、この映画はキムが死の直前に一瞬にして見た過去(夢)なのです。
キムが死の直前に「帰りたかった」のは、二十年前のピクニックでした。
そこにはキムの、「美しい人生」があったからです。

キムがピクニックでデジャ・ヴィにおそわれた時、キムの意識には二十年後のキムが入り込んでいました。
そして、輪を離れて鉄橋の下で見上げた時、キムの意識は死の直前のキムになっていました。
一瞬にして過去(夢)を見終えたキムです。
死という暗いトンネルに入る直前、キムは帰りたかった場所に帰ってきたのです。
映画はメビウスの輪のように、ピクニックを接点にして循環する構造になっています。

この映画の背景には韓国の現代史があります。
キム・ヨンホの個人史と韓国の現代史が重なりあって物語が進行します。

1979年10月に軍事独裁政権の朴正煕(パクチョンヒ)大統領が暗殺され、韓国全土で民主化運動が盛んになります。
最初のピクニックは、未来が開けそうな時代の空気を若者たちによって表現されています。
民主化運動は反体制派のシンボルであった金大中(キムデジュン)の出身地光州で激化し、大規模な市街戦になります。
1980年に起きた全羅南道の光州事件がそれです。
市民と軍がぶつかり多くの死傷者を出した事件です。

その後、北との緊張を孕みながらもジグザグに民主化、近代化を推し進め、経済成長を遂げます。
二十年後のピクニックは、豊かになった生活の弛(たる)みが中年男女で表現されています。
この映画がヒットしたのは、主人公と韓国現代史のリンクが自然で、しかも多くの韓国人の個人史とも重なったからだと思います。
これは、日本の戦後史とも重なる部分が少なくありません。
(ちなみに、この映画は日韓の共同制作です。)

さて、キム・ヨンホが帰りたかったあの二十年前のピクニックには何があったのでしょうか。
それは、人を好きになった時の気持ちです。
初めて人を好きになった時の気持ちです。
初恋ですね。

人を好きになる、それは希望を持つということです。
人を好きになった人の眼はキラキラとしています。
何故なら、その眼は遠い未来を見ているからです。
その未来が明るいから、眼はキラキラするのです。

人を好きになると、何故か空を見上げます。
空の遠くを見上げます。
どこまでも続く空の向こうに未来があるからです。
眩しいような未来があるからです。

ペパーミント・キャンディーの意味するものは、希望です。
爽やかすぎて、しかも甘いあの味は、希望の味です。
「美しい人生」とは、希望のある生活のことです。
「人生は美しい」と日記に書いた男には、希望があったのです。
未来に美しい人生があると夢見みていたのです。

キム・ヨンホは、あのピクニックで出会った希望に帰りたかったのです。
希望を持った自分に帰りたかったのです。
軍隊で経験した過酷な現実。
それによって失った希望を取り戻したかったのです。
あの時以来、現実だけに生きたキム・ヨンホは、失った自分を求めて二十年前のピクニックに帰りたかったのでした。

かつて希望を持った者がそれを失うと、残酷になります。
人を好きになった時の優しさが、反転します。
希望を持っている人間には、特に残酷になります。
スムニに、反体制の若者に、祈りを持ち続ける妻に残酷になります。
失った希望の大きさを埋める為に、より残酷になってしまうのです。
人を憎む気持ちは、人を好きになった人だけが持つ陰かもしれません。

カメラは、いってみれば希望を写し取る装置です。
少なくとも、キム・ヨンホにとってはそうでした。
あの時、名もない花には希望がありました。
それを、キム・ヨンホは写し取りたかったのです。
あの時代に韓国が持っていた希望は、名もない花の美しさのようなものでした。

希望を失ったキム・ヨンホに、カメラは無用の長物です。
何も写していないフィルムを開けると、真っ黒になります。
それは、あの時から現実だけに生きたキム・ヨンホの人生です。
何も写っていない、真っ黒な人生です。


ペパーミント・キャンディーの暗喩は希望であり、映画「ペパーミント・キャンディー」は希望についての映画です。
それはキム・ヨンホが持った希望の物語であり、韓国の持った希望の物語でもあります。
そして、それは人を好きななったことのある、あるいは今、人を好きになっている貴方が大切にしなければならない物語なのです。

<第四十一回終わり>




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