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iの研究


第三十二回 <パーソナル コンピューティング>の研究(2)


前回の研究でOSについて触れましたが、今回もOSを足がかりにコンピュータ文化の世界に踏み込んでみたいと思います。
研究を始めてみると、この世界が思ったより奥深いので驚いています。
この驚きを上手く表現できるかどうか、初級者のわたしはちょっと心配しています。


アキ・カウリスマキという映画監督がいます。
「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」で注目されたフィンランドの映画監督です。
わたしが彼の映画を初めて観たのは、次回作であった「マッチ工場の少女」です。
公開されたのは今はなき六本木のシネ・ヴィヴァンで、およそ10年前の話です。
十年一昔とは良く言ったものですね。
セゾン文化の一翼を担っていたシネ・ヴィヴァンも今は歴史となってしまったのですから。

「マッチ工場の少女」は暗いストーリーをもった映画でした。
トコトン暗い物語でした。
にもかかわらず、この映画には不思議な明るさがありました。
極端に少ない台詞と、淡々と進行する物語。
感情移入を許さないテンポと、間(ま)の底には独特のユーモアが漂っていました。

不幸を不幸として、突き放す。
不運を不運として、突き放す。
そこに余計な解釈や感情を挟まない、そんな表現です。
そこから生まれてくるものは、人生に対する諦観であり、尚且つそれでも生きていこうとする人間に対する愛情です。

この視点は、後年観た「浮き雲」でも不変でした。
次から次へと不運に見舞われた中年夫婦を、それこそ他人事のように描いた映画ですが、やっぱり愛情があるのです、この映画には。
チープなフィンランド歌謡が映画に彩りを添えているのも、わたしの好みです。

「マッチ工場の少女」と「浮き雲」の間に公開された映画に「ラヴィ・ド・ボエーム」があります。
詳しいストーリーはもう忘れてしまいましたが、パリのボヘミアンの話です。
ボヘミアン、知ってます?
もうこれは死語でしょうね。
(ひょっとしたら、クィーンの「ボヘミアン・ラプソディー」は御存知かもしれませんが。)

ボヘミアンとは、社会の習慣に縛られないで、芸術などを志して自由気ままに生活する人です。
今は、芸術家と言えどもこういう生活は許されないですよね。
このページをご覧になっている現代美術作家の貴方、そう思いません?
自由気ままなんて、遠い昔の話ような気がしませんか。

ま、この映画はそういったアナクロな人達を主人公にした映画です。
アキ・カウリスマキ本人もアナクロな人ですが、この映画の主人公はねぇ、汚くてさすがにちょっとねぇ、という映画でした。
そのくらいしか記憶にない映画ですが、ラストに日本の歌謡曲が流れます。
これは驚きます。
なんたって、高英男(こうひでお)歌う「雪の降るまちを」ですから。

♪ 雪の降るまちを 雪の降るまちを
 思いでだけが 通りすぎて行く


さて、ここまでは前フリです。
わたしが何を書こうとしているかというと、フィンランドの話なんですよね。
冬の、雪の降るまちで人は何をするのでしょうか。
外でウィンタースポーツに精を出すか、あるいは、家に篭ってソフトウェアのプログラムを書いているのかもしれません。



Linuxを独力で開発したリーナス・トーバルズはフィンランドのヘルシンキ生まれです。
フィンランドでは少数派(人口の5%)になるスウェーデン人移民の末裔です。
フィンランドはロシアとスウェーデンに挟まれた小国です。
両隣の大国に長い間支配されるという、小国の苦難を味わい続けた歴史をもっています。
フィンラド人は日本びいきだそうです。
何故なら、ロシアに戦争で勝った歴史があるからだそうです。
日露戦争のことですね。
しかしねぇ、その戦争のことは当の日本人でも忘れかけていますよね。
う〜ん、つくづく陸続きの小国の悲哀を感じます。

フィンランド出身の有名人といえば、F1の「フライング フィン」ことミカ・ハッキネン。
リーナスはその次ぐらいの有名人でしょうね。
アキ・カウリスマキはカルトな人ですから、有名人度ではちょっと落ちます。
いずれにしても、東京の半分ぐらいの人口の国ですからたいしたものです。

アキ・カウリスマキとリーナス・トーバルズ、どこか共通点があるような気がします。
リーナスが共著で出版した自伝「それがぼくには楽しかったから/JUST FOR FUN the story of an accidental revolutionary」を読んでそう思いました。
この二人にはフィンランドという国が色濃く反映されています。
自伝からフィンランドを描写したシーンを引用してみます。

今でもフィンランドのどこかの街ーそれもなるべく小さな街にあるバーに入ると、無表情な顔をした男がみな一人で座り、宙を見つめているのを目にするだろう。フィンランドでは、お互いのプライバシーを尊重する。だから、見知らぬ旅行客に近づいていって、おしゃべりをしようなんて考える者はいない。こんなことわざがあるーフィンランド人は本当は愛想が良いけど、それに気がつくものはめったにいない。
フィンランド人は顔をつきあわせて話をするのをひどく嫌うので、携帯電話の理想的な市場になっている。また、比べる国がないくらい新しい物好きである。男性も女性も、子供まで、携帯電話を一番たくさん持っている国といったら、疑問の余地はない。
フィンランドでは赤ん坊が生まれるとすぐ携帯電話を移植する、という冗談まであるほどだ。又、喫茶店の隣のテーブルに一人で来ている友達に電話して、おしゃべりをしたりする。
国民一人あたりのノード数ーインターネットにつながっているコンピュータ端末の数も、フィンランドが世界一だ。

ノキア社(フィンランド)が成功を収めた理由がお分かりですね。
こういうお国柄です。

LinuxはオープンソースのOSです。
OSのソースコード(システムの基礎となるプログラムの設計図)を無料で公開し、誰もがそのソースコードを改良し、変更し、活用することができるのが、オープンソースです。
しかし、そうした改良や変更や活用もまた無料で提供されなければなりません。
(ここでの無料は、ソフトを売ることは自由だが、ソースコードは無料で公開しなければならいということです。)
1991年の6月から9月にかけて、リーナスが自室に閉じこもって書き上げたLinuxは今や数百万以上のユーザー数を誇っています。
フィンランドの6月から9月といえば、1年中で一番良い季節です。
それを犠牲にして、リーナスは薄暗い部屋にバスローブ姿でプログラミングに没頭したそうです。
(ある意味では、よっぽど楽しかったんでしょうね、OSのプログラミングが。)

マイクロソフトのWindowsはOS市場の大半のシェアをもっています。
このOSはクローズドです。
絶対にソースコードを公開しません。
企業秘密というやつです。
何故なら、それで膨大な利益を得ているからです。

Linuxがまず注目を浴びたのは、ソフト市場を寡占して一人勝ちしていたマイクロソフトの牙城に風穴を開けるかもしれないという期待があったからです。
マイクロソフトの強引なやり方に強い不快感をもっていた業界及びユーザーの期待があったからです。
そして、そのOSの背後にある考え方(哲学)が正反対だったからです。
その対照がメディアにのると、ビル・ゲイツ(悪人)VS リーナス・トーバルズ(善人)という、いささか単純な構図になりがちではありましたが。



リーナスは何故ソースコードを公開したのでしょうか?
ひょっとしたら大きな利益を生むかもしれない、にもかかわらず。
リーナスは自身をハッカーと呼んでいます。
もともとハッカーとは、「コンピュータのプログラミング技術やシステムの扱い、そして開発のセンスに非常に長けている人」のことを称賛の意を込めて称した仲間言葉です。
真のプログラマーに与えられる称号です。
「コンピュータシステムに侵入して悪いことをする人」はクラッカー(破壊者)です。

リーナスは、まずハッカー仲間からの称賛を第一義に考え、なによりも自分が開発したOSを育てるためのフィードバックが欲しくて公開したと語っています。
オープンソースはリーナスの発明というわけではありません。
又、ソースコードを公開したリーナスの考え方には広大なバックグラウンドがあります。
今回はその背景を考察してみたいと思います。

コンピュータとインターネットの歴史を見てみると、その出発点は軍事利用です。
軍事というのは科学技術研究に多くを頼っています。
コンピュータとインターネットが軍事の枠から開放されたとき、それは必然的に科学技術研究及び広く学問の分野で普及しました。
大学や研究所がもっぱらその普及、育成を担ったわけです。
商用ということに関しては、その時点では(つい最近までは)利用価値が全く予想できないものでした。

伝統的に学問研究は自分の研究をオープンに公開して、第三者が自由に使ったりテストしたり修正したりするのを許しています。
オープンな自己修正を重ね、理論を集団で発展させた方が欠陥が見つかりやすく、科学的知識を生み出すにはこの方法が最も優れていると証明されているからです。
そして、ここに参加するには義務もあります。
出典(ソース)をかならずあげること、新しい解(ソリューション)が生まれたら隠してはいけないこと、科学共同体の利益のために、それもまた発表しなくてはいけないこと。

Linuxは、リーナスの書いたソースコードを、世界中のハッカーがインターネットで共同作業しながら育てているプロジェクトです。
プロジェクトは誰か一人のものではなく、みんなのものであり、協力者のチームが並行して作業を進めれば、秘密裏に作業を進める場合に比べてずっと速く、ずっと良いものができる。
そういう信念をベースにしたプロジェクトです。

いってみれば、Linuxはコンピュータ/インターネットの創成期の精神を色濃く継承したOSです。
又は、学問研究者の倫理と合理を受け継いだムーブメントともいえます。
つまり、LinuxはOSの名前でもありますが、ムーブメント(運動体)の名でもあるのです。
Linuxがコンピュータの世界の話題から一般社会の話題にまで拡がったのは、そのムーブメントに注目が集まったからです。
(Linuxがマイクロソフトとの対比でのみ語られる時期は既に終わったということでもあります。)

「リナックスの革命/ハッカー倫理とネット社会の精神」(ペッカ・ヒネマン著)は、資本主義を支えたプロテスタンティズムとハッカーの倫理観/価値観を比較しながら、そのムーブメントを解明しようとした本です。
この本の論旨を一言でいってしまえば(かなり乱暴ですが)、「金銭」よりも「楽しみ」にこそ価値があり、創造性も発展性もあるということです。
プロテスタンティズムは、何だかんだ言っても最終的には「金銭」がモチベーションである、とヒネマン(フィンランド人)は分析しています。
より良い生活を送るには無駄なく(最適化された)仕事をキチンとこなすこと、日曜日は仕事の疲れをとって、月曜日からの仕事に備える充電日であると考えるのがプロテスタンティズム。
ハッカーは、仕事も遊びも等価値と見做して双方に情熱をかたむけ、金銭はあくまで手段であると考えます。
だから、日曜日は楽しむための休日であり、けっして労働日に従属するものではありません。
社会的な価値を創造してそれを公開、共有し、尊敬を受けることを報酬として求める、そういう生き方です。

プロテスタンティズムの勤勉さ、禁欲さが資本主義社会を発展させ、豊かな社会を築いたのは否定できない事実です。
そこに大きな歪みを伴っていたとしてもです。
しかしながら、アメリカのビジネスマン、特にエグゼグティブの生活を見ていると、もうこれはダメだろうなとわたしは思います。
このままいったら人間が壊れてしまう、そんな気がするんですよ。
激しい競争に勝つという目標が全てを覆って、そこには価値というものがスッポリ抜け落ちている。
こういう生き方が世界中に広まると(=つまりはグローバル化でしょうか)、病的な社会の蔓延を招きそうな気がします。

リーナスは人生の意味を、生存-社会生活-娯楽(楽しみ)の順序で進化すると考えています。
そして、今は楽しむ段階に来ていると語っています。
彼の生き方はそれを実践することです。

このことをわたし流に翻訳すると、嘗ては自分のものであった時間を再び自分の許に取り返すことです。
工業化社会(=資本主義社会)で失った自分の時間を自分のものにすることではないかと思います。
ハッカーは自由自在に時間をコントロールして、仕事と趣味に情熱を燃やしてます。
時間を自分のものにしたからです。

今、リーナスはシリコンバレーのトランスメタ社(省電力CPUのクルーソーの開発元)でソフトエンジニアとして働いています。
白夜の国から、陽光降りそそぐカリフォルニアに移住したのです。
会社の仕事も趣味(Linuxのメンテナンス)も、分け隔てなく楽しくこなしているようです。
羨ましいかぎりですね。
(リーナスの「楽しむ」思想の詳細については、自伝をお読みいただければと思います。)



さて、ここでLinuxそのものについての話をしましょう。
パーソナル コンピュータの分野ではLinuxはまだまだ少数派です。
コンピュータショップに行っても、Linuxをインストールしたマシンはほとんどありません。
相変わらずの、Windowsです。
今パーソナル コンピュータでLinuxを使っているのは、中級者以上の趣味及び業務の人です。
何故なら、WindowsやMacのようなマウスやウインドウを使ったインターフェース(GUI)の完成度がまだまだだからです。
まだ初心者向けにはなっていないということです。

ところが、サーバーの分野では既に相当のシェアをもっています。
この(わたしの)HPの実体は、サーバーに置いてあるわたしが作ったファイルです。
HPを見るということは、サーバーにアクセスしてそのファイルを自分のコンピュータで受信することです。
サーバーというのはそういった、WWWのサービスやメールの送受信のサービスをやってくれるコンピュータのことです。
気が付かないうちにお世話になっているコンピュータのことですね。
ここでは、Linuxは確固たる地位を築いています。
IBMとかサンマイクロシステムズ、オラクルあたりの大手もLinuxに力を入れてますから。

あと、いろんな家電や小さな機器には相当組み込まれいるそうです。
(前回お話したOSを意識させないコンピュータです。)
信頼性が高く、なんといっても無料ですからね。

Linuxを組み込んで不具合が生じた場合、技術者にとってソースコードを参照できるのは何といっても有り難いことです。
又は、インターネットを使って広く解決策を探るという方法もできます。
これが、オープンの強みです。

パーソナル コンピュータの分野にもいずれLinuxの波は押し寄せてくると思います。
どこのメーカーもマイクロソフトの覇権には嫌気がさしていますし、繰り返しますがLinuxは無料(ただ)ですから。
(パーソナル コンピュータの部品で一番高いのはOSだそうです。)

Linux自体は無料ですが、それをパッケージにして応用ソフトと組み合わせて販売している会社もあります。
このLinuxには販売会社のサポートがつきますから、困ったときはその会社に相談できます。
Linuxはそれを認めています。
Linuxの改良、改変した場合、必ず公開するというルールさえ守れば商用を許可しています。
このあたりが、リーナスの柔軟さというか現実的視点というか、Linuxがここまで大きくなった要因の一つです。


ここまで書いたら、ちょっと疲れました。
暑さによる寝不足もありますが、初級者のわたしには集中力を要する研究だからです。
資料を参照しながら書いてますから。
(今回は前述した二冊の本から少なからず記述を引用しています。御了承下さい。)
お風呂に入って、サッパリしてから続きを書きます。
これからが、面白いんですよ!

あ〜、サッパリしました。
ビールは止めときます。
飲みすぎですから、ミネラルウォーターで我慢です。


さて、MacOSX(テン)のベースになったOSはUNIXです。
LinuxもUNIXベースですから親戚関係にあたります。
ついでですが、OSXも下部構造(Darwinと呼ばれている)はオープンソースです。
が、リーナスにいわせると「上にMacの層(レイヤー)がかぶさっているので意味がない」そうです。
何となく解ります。

UNIXは、美しいOSだそうです。
UNIXは、すっきりとした美しいOSでパワーがあるそうです。
「OSが美しい」、は実感としては分かりませんが、想像することはできます。
無駄のない論理で構築された、プロポーションの良いOSという意味ではないかと思います。
多分、非常にバランスが良くてディテールも疎かにされていないのでしょうね。

リーナスは自著でOSの美しさに相当こだわっています。
Linuxの美しさにも相当自信があるようです。
プログラミングにはそういった美的センス、洗練が要求されるそうです。
プログラミングは、美術家が作品を作ることに似ているのかもしれません。
だから、リーナスはLinuxを売り物にするよりも、それを公開して多くのハッカーからリスペクトされる方を選んだのかもしれません。
クローズにしてしまったら、その美しさをはハッカー仲間は見ることができなくなってしまいます。
「美しさ」は、ソフトウェアに限らず、金銭に代えられないものかもしれません。
これは重要なことですね。

UNIXは1960年代末にAT&Tベル研究所で生みだされ、別の場所で育て上がられたOSです。
当時のAT&Tベル研究所は独占禁止法で電子機器の販売制限を受けていました。
そこでUNIXを作った人々は、ソースライセンスともども全部を自由に頒布できるようにしました。
そこから、「UNIX文化」ともいえる流れが始まりました。



わたしがパーソナル コンピュータの世界に足を踏み入れた時、気がついたことがあります。
フリーソフトやシェアウエアといった、現実の世界ではあまり存在しない、人の善意を前提にしたものがあるということ。
助け合いの精神が強く(互助精神)、しかし自分でできることは自分でする(自助努力/自己責任)という世界であること。
そこには、うっすらとそれらを基盤とするコミュニティらしきものの存在が見えました。
今考えると、それの源流はUNIX文化かもしれません。
(創成期のコンピュータ世界が持っていた文化的環境がUNIXで大きな流れになった、といった方が正確かもしれません。)

リーナスが揺り籠代わりの洗濯カゴで眠っていた幼年時代、学生だった両親はキャンパスで反体制運動に精を出してました。
彼が生まれたときのBGMはジョニ・ミッチェルだったようです。
頒布されたUNIXは学術関係の間で一大プロジェクトとして育っていきました。
特にカリフォルニア大学バークレー校で大きく発展しました。
数あるUNIX系OSでも最も有名なBSD(Berkley Software Distribution)がその成果です。

UNIXが成長していった初期は、反体制運動が盛んな時代でした。
ヒッピーには、技術力を持ったヒッピーもいたのです。
Greatful Deadを聴きながらコンピュータをいじくりまわしていた連中がいたということです。
彼らの過激な理想主義は、UNIXの性格、及びソフトウェアに対する考え方に大きな影響力を与えました。

特に、UNIX互換のオープンソースOSであるGNUをリリースしたリチャード・ストールマンの存在は無視することはできません。
彼が書いたGPL(一般公有使用許諾書)は後のソフトウェア文化に決定的な影響を与えました。
GPLを要約すると、「ソフトウェアはあまねく万人にひらかれた共有財産でなければならなず、なんびとたりとも独占してはならない」という主張を強制するライセンスです。
「無償で公開する」ということではなく、「利用したり入手したり改変したり再配布したりする自由を保証しなさい」ということです。
フリーは無料という意味ではなく、自由という意味で使われています。

過激な理想主義がでてきた背景には、元来は無償で自由に配付、交換されていたソフトウェアが徐々に商用化(制限)されてきた危機感があると思います。
このGPLはLinuxの生みの父といってもいい存在なのですが、リーナス自身は過激な理想主義には距離を置いています。
その強制力に反発しているからです。
物事を決めるのは自分であり、押しつけられることを彼は嫌うからです。
ストールマンに反発しつつもリスペクトは忘れない、それが彼のスタンスです。

Linuxを世に出してから、その成長のリーダーシップをとってきたのは生みの親であるリーナスです。
彼の導き方は柔軟であり、現実的でもあります。
自然の流れに逆らわず、必要なときにだけ主導するという考え方です。
わたしは、こういったやり方にフィンラドの国民性が出ていると想像します。
小国の悲哀をなめたフィンランドの知恵がそこに反映されている気がします。

コンピュータの歴史は相対的にいってしまえば非常に短いものです。
しかし短いながらもそこに固有の文化を生みだしてきました。
Linuxは一見突然変異的に出現したかのようですが、実は文化の正統的な継承者です。
ハッカーというものが生まれ、それが育んだ文化の継承者です。
その継承者がフィンランドという辺境(FIN-LAND)から現れたのは、インターネットがあったからです。
インターネットの可能性は、「便利」ではなく、このあたりにあるとわたしは考えます。
ハッカーではないわたし達がそれをどう使うか、これは自分で考えるしかないですね、やっぱり。


日頃、わたしはメールやWWW、ワープロ、表計算ソフト、画像処理ソフトでコンピュータと接しています。
しかし、その背後にある文化については殆ど知りませんでした。
今回の研究は自分でもちょっと驚きでした。
(未消化の部分も多く、キチンと記述できたとは思っていませんが。)
これをお読みの貴方は驚いたでしょうか?
既に知っていることの羅列でしたら、お許し下さいね。

アキ・カウリスマキがジム・ジャームッシュのオムニバス作品に参加した映画があります。
酔っ払いの不幸自慢の短編です。
(フィンランドはアルコール依存症が多い。)
例によって暗い話ですが、そこはかとなく漂うユーモアが絶品です。
リーナスの自伝の行間に漂うユーモアも結構イケます。
そのユーモアの(愛情の)質が、どことなく似ているような気がします。

長いテキスト、お読みいただき有難うございました。


<第三十二回終わり>




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