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iの研究


第十九回 <プラスチック>の研究


わたしにはささやかな夢がある。
わたしは今iMacのグレープを所有している。
5色のiMacが出た時、特に必要も無かったのに、そのファンシーな
プラスチックに魅了されて購入した。
当時の広告に「5色全てをコレクションする」というのがあった。
その時は、同じものを5台も持っていても仕方ないなと思っていた。
しかし、今は違う。
歴代のiMac11色をコレクションしたい!
ある展覧会を観た帰り、わたしはそう思った。
これは、
プラスチックを愛するわたしの証(あかし)となるに違いない。
わたしはそう思ったのでした。

この夢は、たかだか200万円弱で実現できる夢です。
しかし、いざとなるとこういったバカバカしい夢はなかなか実現できません。
小賢しい理性を捨てないと駄目です。
これが意外と難しい。
わたしはこのハードルを超えない限り、成りたい自分に成れないかもしれません。
わたしの人生の試練の時かもしれません。

ある展覧会とは、埼玉県立近代美術館で開催中の「
プラスチックの時代|美術とデザイン」展です。
ここ数年で一番期待が大きかった展覧会です。
何故なら、わたしは
プラスチックが好きだからです。
いつか
プラスチックの研究をしたいと思っていました。
丁度いいタイミングでこの展覧会が開催されました。

この展覧会は1部にデザイン作品、2部にファインアートが展示されています。
(1部にも写真作品有り。)
2部は(1)と(2)に分かれていて、(1)は国内外の主要作家、(2)は若手日本人作家の作品になっています。
まずは美術館一階の入口で「Smart」がわたし達を迎えてくれます。
「Smart」は、メルセデス・ベンツとスウォッチが共同で作った自動車会社MCCの二人乗りシティコミューターです。
カラフルな
プラスチックを多用したオモチャの様な自動車です。
ここで既に「この展覧会の企画者は解っているな〜」と思ってしまいます。

展覧会場に足を踏み入れるとフラフープの映像が眼に飛び込んできます。
コーエン兄弟の映画「未来は今」のワンシーンです。
続いて、
プラスチックの歴史を辿りながらエポックメーキングなデザイン作品が展示されています。
オリベッティのタイプライター「バレンタイン」、イームズのチェア、80年代の日本のバンドPlasticsのコーナーもあります。
1部は
プラスチックを軸にした20世紀史といった趣でとても楽しめます。
もちろんプラスチックが軍事的側面で発達した事や、公害の問題も取り上げていて、
プラスチックのダークな面にもスペースを割いています。
そして、初代iMac,ボンダイブルーのiMacも展示されています。
ポイントを外してませんね、この展覧会は。

カタログの体裁も凝っていて、この展覧会にかける美術館の意気込みが伝わってきます。
テキストは七編収録されていますが、いずれも独自の視点でプラスチックを語っています。
余談ですが、最近の展覧会カタログは昔に比べると読みやすく、デザインも工夫があって楽しいですね。
昔のカタログの主流であった学術論文的な文章は読むのに大変疲れました。
というより読まなかったですね、実際は。
図版を眺めていただけのような気がします。



展覧会の2部に足を踏み入れると、プラスチックが用いられた国内外の様々なファインアートの展示になります。
アルマン、トニー・クラッグ、カール・アンドレ等、わたしの好きな作家が選ばれています。
特に、トニー・クラッグは好きです。
豊田市立美術館で観た展示は、プラスチックの美しさを最もひきだした作品と言えます。
(作家本人が設置したと思われます。)
優れた日本人作家の作品も展示されています。
それに続くように、(2)として若手日本人作家の力の入った作品を観ることが出来ます。

しかしながら、1部の面白さに比べると何となく重苦しい感じがして、プラスチックの軽さが上手く出ていない気がします。
これは作品の所為ではないでしょう。
ファインアートの持つ重さがプラスチックの軽さを凌駕した結果ではないかと思いました。
ファインアートにおける主要なマテリアルは、鉄、木、土、ガラス、といったものです。
それらを用いた作品と同居すると、2部に展示された作品群は多分軽やかに見えるはずです。
そう見えなかったのは、1部のデザイン作品の軽さの為です。
ファインアートの観念の重さがプラスチックに重力をつけたのでないでしょうか。

ここでわたしは考えました、プラスチックは本来サブカルチャーなのではないかと。
歌謡曲やロック、マンガやゲーム、そういった大量消費を前提にしたカルチャーの仲間ではないかと思いました。
ファインアートはクラシックや現代音楽、純文学(死語?)の仲間です。
人間の思索活動を最上位とするジャンルです。
消費を前提に作られるものではありませんね。
流行ることより、永遠性に重きがおかれています。

今の時代に、純粋芸術がサブカルの上位にあると言ったら笑われます。
その通りです。
良いものは良い。
ただ、それだけです。
ジャンルがあるのは事実だが、あるという以上の意味はありません。
ですから、プラスチックが自分を卑下する必要は全く無いわけです。
今や、純粋芸術の方がその存在意義を厳しく問われているくらいですから。

プラスチックの出生は、概ね偽物という役割でした。
哀しいですね。
生まれついての偽物、こんなに哀しいことはないです。



わたしが子供の頃、学校の廊下やトイレの柱に一輪挿しの花瓶がありました。
その花瓶には、ホンコンフラワーと呼ばれた造花が飾られていました。
大抵はチューリップなどの誰でもが知っている花で、いかにも造花といった風情でした。
本物の花は高いし、手がかかります。
寿命も短い。
そこで、安価でほとんど手のかからないプラスチックの花が出回りました。
偽物の花です。

ホコリにまみれたホンコンフラワーが、これ又悪臭のする汚い学校のトイレに飾ってありました。
そんな記憶があります。
枯れることを知らない花。
これは上述した永遠性とは違って、土に還れない悲劇です。
不死というものは、実は大変な苦しさを伴うものです。
死にたくはないけど、死ねないのも辛い。
偽物として生まれ、死ぬことを許されないホンコンフラワー。
哀しいですね、ホントに。

わたしが子供の頃に見たプラスチックはみんな安物でした。
紛い物(まがいもの)、偽物、フェイク。
それはどこかしら夢中で読んだマンガ雑誌に似ています。
安い紙に毒々しく印刷され、読まれると捨てられたマンガ雑誌。
あるいは音質の悪いラジオから流れていたチープな流行歌。
しかし、その頃アメリカでは大量消費時代の花形としてプラスチックは持て囃されだしました。
そして、それが時間差を伴って日本にもやってきます。

音楽でいえば、ポップスですね。
甘くて楽しくて、ちょっぴり切ない若者の音楽、ポップス。
わたしは直ぐに夢中になりました。
例えてみれば、この音楽が生まれ変わったプラスチックです。

フラフープ。
フラフープは何と言ってもプラスチック
鉄や木じゃシャレにもなりません。
あのカラフルな色がなければプラスチックじゃありません。
プラスチックはやっと偽物であることから逃れて、自分を自分としてアピールしたのでした。
(というわけで展覧会の入口にあの映像があるのですね。梅津さん?)
:梅津さんとは本展の担当学芸員の方です。




さて、ホンコンフラワーからiMacに。
プラスチックも随分と出世したものです。
ホンコンフラワーの哀しさを知る身にとってみれば、喜ばしいかぎりです。
これはどこかサブカルチャーの出世と似ていますね。
安物、流行り物として蔑まれたサブカルチャーは、いつの間にかあの「知性」を脅かす存在になっていました。
今、わたし達の周りはプラスチックで溢れています。
プラスチックがないとわたし達の生活は成り立たないのです。
(このあたりの詳しい話は展覧会カタログのテキストを読んで下さい。)

大量消費を先導したのはアメリカです。
西欧のコンプレックスに悩んだ大量消費の国アメリカが花咲かせたプラスチック
わたしがプラスチックを好きなのは、そのアメリカの所為かもしれません。
軽くて、透明で、色とりどりのプラスチック
わたしの世代が憧れたアメリカ。
わたしはとりわけアメリカのプラスチックに憧れたのですね。
あるいはアメリカのプラスチックな感覚に。

そのわたしが、iMacを購入したのは当然の成り行きだったわけです。
今思えば、ですが。
さて、事のついでにパソコンのプラスチックについて考察してみます。
iMacのプラスチックは女性的な記号を持っています。
それまでのベージュ色のパソコンは男性的な記号です。
このベージュ色もプラスチックなのですが、プラスチックであるという存在を隠す方向にベクトルがいってます。
プラスチックの持つ軽さ、透明さ、カラフルさをポジティブに主張するiMacとは正反対です。

軽さ、透明さ、カラフルさというのは女性的記号ですね。
ですから、iMacは女性のユーザーが多いのです。
フレンドリーな同性だったら自分の部屋にいても楽しい。
女性的記号に溢れた部屋でも違和感のないコンピューターなんですね、iMacは。
楽しいんだか、楽しくないんだか解らない顔をしたベージュのコンピュータは鬱陶しいだけなんです。
逆に、iMacでもグラファイトは男性ユーザーが多いと思います。
女性的記号の中に男性的記号が入ってますから。
モノトーンという。

パワーブックのプラスチックは男性的記号。
端正な中に優美さもあって、わたしは好きです。
プラスチックのグッドデザインです。
(iMacはグッドデザインではありません。ちょっとヘンです。そこが良いのです。)

ヘンといえば、何といっても青/白のG3。
これはヘンです。
でも置くとこに置けば飛び切りビューティフルなプラスチック
センスが最大限に問われます。
それに比べればG4は万人向きなプラスチック
ちょっとツマラナイですね。

iBookのプラスチック、これはもう女性的記号ですよね。
なにせ発売当初、「こんなもの男が持って歩けるか!」と怒った人がいましたから。
iMacがオフィスに似合わないのは、オフィスが男性的記号だけで構成されているからです。
現状ではオフィスは男が支配権を持っています。
(そのうち変わるでしょうけど。)

わたしが今一番気になっているプラスチック
それは、 Apple Studio Display 17インチ CRTです。
透明な流線型の後部がとても美しい。
内部のパーツは黒色に着色してあります。
フロントのデザインとの整合性がイマイチなのですが、それでも美しい。

わたしは「プラスチック偏愛症候群」なのです。
よって今回の研究はかなり主観的なものとなりました。
その主観から見ると、「プラスチックの時代|美術とデザイン」展のファインアートでは横溝美由紀さんの石鹸の作品が気に入りました。
あの作品には、1部のデザイン作品と良い意味で共通する軽さと透明さとカラーがあります。

埼玉県立近代美術館は気になる美術館です。
プラスチックの時代|美術とデザイン」展、行って損はしない展覧会です。
お出かけ下さい。

<第十九回終わり>




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