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藍 画 廊


シモガワケイ/Re-Raum


シモガワケイ/Re-Raumの展示風景です。
Re-Raumはシモガワさんが代表を務める会社で、今回の展覧会の協力です。

画廊入口から見て、正面の壁面です。
カラープリント(写真)が縦13列、横20列、合計230枚展示されています。

被写体は電話ボックスで、いろんな場所にある電話ボックスを撮影したものです。
形(形態)も様々です。
撮影した時間もマチマチで、朝もあれば夜もあります。

撮影地点は都内が多いと思いますが、この写真だけではなかなか場所を特定できません。
最近は減少しつつあるとはいえ、電話ボックスのある風景がありふれているからでしょう。


入口右側の展示です。
白いイスとヘッドホンです。
ヘッドホンからは、各地の電話ボックスの中で録音した街の騒めきを聞くことが出来ます。



入口左側の展示です。
同じくイスとヘッドホン。
流されている音も同じです。


正面に電話ボックスを撮影した230枚のカラープリント、それを挟むように左右にイスとヘッドホン。
本展の構成は以上のようになっています。
会場の壁面に、シモガワさんが書いた作品についてのテキストも貼付されています。
ちょっと長いのですが、全文引用します。


作品について

この作品は、2001年3月に川崎市民ミュージアムでおこなった講座「SONIC PERCEPTION EXTRA」での作品デモンストレーション用に使用した”電話ボックスという隔離された空間の中で聞こえる外側の音”という録音プロジェクトを新たに実施し直したものです。
前回は、その録音したサウンドデータをマトリックスコードという二次的なものに置き換え、それを読み取り機器で読み取り、サウンドデータをランダムに呼び出すというインタラクティブなシステムでした。つまり録音したサウンドデータをデータベース化し、そしてコード化することによって聞き手が偶発的に情報を取得するという動作(作用)を作品コンセプトとして位置付けていました。そしてその作品での”音”という情報は、デジタル情報として扱われ一定の時間で切断されたデータキャリアという形で蓄積されたものでした。

今回の作品も含め、”音”という現象に注目し、作品コンセプトを構成してきた背景には、自分自身が持つ疾患が大きな影響を与えています。それは、”ストレスによる頭痛”が引き起こす過剰な感覚器官の反応です。症状がでてくると徐々に各感覚器官が外界に対して過敏に反応を示し出します。特に”音”に対しての反応が大きく、そのためか街並の雑踏や電車の中など人ごみの中に身を置くことに過敏になっていました。
よって作品コンセプトの中では、身体として外界から取得する”音”という情報を身体的・医学的に捉え、その症状を助長するストレッサーとして位置付け、それを自分自身がどういう形で受け入れ、そして表現していくか?を重要 視しています。

今回の試みは、上述した自分自身の背景から日々生活していく中で普段何気なく視野に入ってくる風景に注目しました。そこには、テクノロジーの飛躍的な発展の過程で少しずつ少しずつ風景の中でその存在が薄れている電話ボックスがありました。
私は、もはやそこにあること自体に意味をなさなく成りつつあるその箱に別の意味を持たせました。
それは、その機能を目的としない形でその箱に入いることによって、そこは、私という身体にとって雑踏の中の”セ ーフティーボックス”としての役割を果たし、”音”も勿論の上に自身が雑踏の中に身を投じず客観的に外界として捉えられていることに気が付きました。

今回は、日々の生活の中で身近にある電話ボックス(セーフティーボックス)を気が付いた時にピックアップし、その電話ボックスのある”風景の写真”とその電話ボックスの中に身を潜め様々な時間に録音した外側の”音”を展示 しています。

2003 ”hys” [ BOX ]  シモガワケイ


電話ボックスはシモガワさんにとって「セーフティーボックス」、つまり「シェルター」としての意味も持っています。
その発見が制作の出発点になっているようです。
下はカラープリント群の部分です。
ヘッドホンから流れる音源は、写っているこれらの電話ボックスの中で収録されました。



イスに座ってヘッドホンを耳に当てると、街頭の騒音が聞えてきます。
クルマやバイクの音、音楽、人の会話、足音、何かのアナウンス、混じり合って判別できない音。
いつも聞くとはなしに耳に入っている音ですが、改めて聞くといろいろな音があるのに驚きます。

イスの横にシモガワさんの作品ファイルがあったので、何気なしに手に取って眺めました。
ふと気が付くと、眺めていた間、それらの騒音はわたしの意識の外にありました。
音が耳の直ぐ近くで鳴っていたのに、わたしの意識(無意識)はそれを当たり前の環境(情報)と判断して、いわば無視したのです。
幸か不幸か、わたしの身体の中には「シェルター」に等しいものが存在しているようです。

電話ボックスは異所と繋がる小屋(小さな家)です。
一般の人がリアルタイムで異所と繋がることは、電話以前にはなかったことです。
(単純なコミュニケーションとしての、のろしとか太鼓の類いはありましたが。)
考えてみれば、不思議な場所=小屋です。
そこは近代という宗教の、秘義が行われる場所だったのかもしれません。
携帯の普及でその場所がなくなりつつあるのは、秘義そのものの変化でしょうか。
(そして、無線LANによるホットスポットが携帯にとって変わるとしたら・・・・。)
カラープリントに写された無数の電話ボックスを見ながら、頭の中でそんなことも考えていました。

ご高覧よろしくお願いいたします。


会期


2003年1月13日(月)-1月25日(土)

日祭日休廊

11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)



会場案内



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