藍 画 廊


吉岡朝美展 「優しい時間」
東北芸術工科大学アートウォーク ART WALK2018
YOSHIOKA Tomomi


吉岡朝美展は東北芸術工科大学アートウォーク ART WALK2018の一環として開催されました。
展示風景をご覧下さい。



以上の4点が展示室の展示で、その他小展示室に1点の展示があります。
作品は画廊中央のインスタレーション「優しい時間」と壁面のドローイング3点で構成されています。
(ドローイングの展示場所は変更予定で、正面壁面の作品は小展示室に移動します。)
作品の詳細をご覧下さい。



インスタレーション「優しい時間」(パネル・紙・糸)はサイズ可変です。



正面壁面のドローイングです。
「無題」(パネル・紙)で303×242mmです。



入口横壁面のドローイング2点です。
左は「seed_1」(パネル・紙・鉛筆・アクリル)で273×190mmです。
右は「seed_2」(パネル・紙・鉛筆・アクリル)で273×190mmです。

<作家コメント>

日々の生活の中であらゆるものが絶えず動いている。
時間、人、もの、それぞれがあらゆるものの存在を日々の生活で通りすぎる。
見えない何かを感じているが日常の中にうもれて消えていく。そのうもれてしまう存在を痕跡
として残したい。それが私の制作の出発点です。


吉岡朝美さんの作品を簡単に説明すると、円形の白い紙を何枚かミシンで縫って一つのユニットとし、それを天井から糸でサークル状に吊ったものです。
サークルは天井の近くと床の近くの二つの層に分かれ、それぞれが又ほぼ二重になっています。
画廊に入って見た印象は、白い吊り糸が見えないので、雲のような紙が浮遊している、あるいは床から霧が発生しているかのようです。
ドローイングは、パネル上で紙をレリーフにした1点と、種子をモチーフに描いたもの2点です。

美術は美しい風景や人物など、目に見える現実を描くことだという一般的な認識があります。
しかしこの認識は、現代の美術家の作品には当てはまりません。
美術家は現実の背後や、現実を動かす(目に見えない)システムや状態に分け入り、視覚化します。
吉岡さんの作品も日常の中の人やものの気配、時間など、五感全体で捉えた感覚の痕跡を視覚化する仕事です。

本展の作品の構想は吉岡さんの同居していた祖父の死にあったそうです。
亡くなった祖父の死が、実感として受け入れられない(納得できない)ことから、痕跡を視覚化することを始めました。
展示されたインスタレーションを見ると、白い紙がサークル状に配置されています。
白い紙は神社の紙垂(しで)を連想させ、白色は生と死の両方のイメージを持つ色です。
ここでは生と死がサークル状に繋がっていて、繰り返されているかのようです。
(これはわたしの一方的な見方で、多様な鑑賞を促す作品ですが、少し続けさせていただきます。)

このような考え方、信仰は珍しいものではなく、過去の日本に於いては普通でした。
そして、家の形状、システムがそれに沿っていて、亡くなった祖先も同居していました。
家には神や仏の住まいが有り、生も死も日常と溶け合っていました。
病院で生れ、病院で死ぬ現代とは大きく違っていたのです。
長らく同居した家族を失い、別離に困難が生じたのは、そのような日常と生と死の分離に因があるような気がします。
だからわたしには、吉岡さんの作品はかつてあったシステムの回復、あるいは人の生と死に対する本来の理(ことわり)にも見えます。

浮遊した白い紙の世界は、幾分の緊張と弛緩を同時に味わえます。
清々しくも、角の取れた緩やかな空間。
これは吉岡さんが好きだった、そして今も好きであろう「優しい時間」そのものでしょう。
作品自体は光を発していないのに、どこか光を感じます。
その光と作品に流れる時に身を置けば、過去も未来も現在(いま)に溶け込んでいくのかもしれません。

ご高覧よろしくお願い致します。

プライスリスト

2013年藍画廊グループ展

作家Webサイト

2018年2月19日(月)ー24日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)


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