藍 画 廊


笠木絵津子展
シリーズ「地の愛」より「孝一の戦争と戦後」
KASAGI Etusko


笠木絵津子展の展示風景です。



各壁面の展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。



正面の壁面です。



右側の壁面です。



入口横の壁面です。

以上の4点が展示室の展示で、その他小展示室に5点の展示があります。
展示室の作品はすべてインクジェットプリントです。
作品の詳細をご覧下さい。



左壁面の作品です。
タイトル「昭和 20 年 7 月頃、孝一、和歌山にて軍事訓練中、 和歌浦らしき海の見える場所にて米軍機と日の丸を撮影する」でサイズ1100×5000mmです。



正面壁面の作品です。
「昭和 21 年頃、孝一、姫路にて進駐軍の通訳の仕事を始める」で1100×3300mmです。



右壁面の作品です。
「昭和 25 年春、孝一、芦屋市立宮川小学校の教員になる」で1100×5200mmです。



入口横壁面の作品です。
「昭和 25 年春、孝一、神戸市赤塚山の兵庫師範学校を卒業する」で1100×3030mmです。

画廊の壁面に笠木さんのテキストが添付されています。
制作の動機、背景、手法などが記されていますので、以下に転載したします。

笠 木 絵 津 子 展 シリーズ「地の愛」より「孝一の戦争と戦後」  
2018年1月29日 - 2月3日、藍画廊 (東京銀座)  

2013年頃から父、孝一の一生を古写真と現在写真で綴る「地の愛」シリーズを制作し始めた。
母のシリーズを終えた時は父の作品をつくる考えはなかったが、2008年に父が死んで4トントラックで関東まで運んだ実家の家財道具を整理していたら東日本大震災が起こったのだ。
報道映像の山河や家財道具が故郷姫路の山河や父の遺品と重なって、私は父と姫路の物語をつくろうと決心した。    
父は大正15年、現在の兵庫県姫路市に生まれた。
中学生の時、兄と母を結核で亡くす。
19歳、姫路市北部山中の熊部分教場で代用教員をしていた時に召集令状が届き、独立部隊山砲兵として和歌山に送られた。  
シリーズ第三弾の今回は、その軍隊時代から小学校教員になるまでの1945年から1950年、19歳から24歳までの最も謎に包まれた「戦争と戦後」の父に向き合った。  
まず、父が生前語ったエピソードと父が遺したアルバム写真を基に、父の足跡を探して各地を旅した。
時空を超えた複数の写真はパソコンの中で絡み合い、父の歴史とそれを追う私の旅が重なって、軍隊時代の和歌山、通訳時代の姫路、師範時代の神戸、駆け出し教員時代の芦屋、の4つの作品が出来上がった。  
生死を彷徨った軍隊時代の父と、小学生に囲まれて大笑いする父の間はわずか5年、この落差の中に命の煌めきを見て制作に励んだ。
また、父が軍隊時代に居た場所を探すのに2年をかけた。
まず防衛省そして和歌山県に調査を依頼したが特定することはできなかったので、最も可能性が高いとされた「和歌山市和歌浦」の撮影を行った。  
古写真と現在写真を同じ画面の中に同居させる方法を私は「時空写真」と呼んでいる。
母のシリーズで始まったこの方法は、私の頭の中に広がる「四次元時空」からやって来た。  
「時空写真」の一枚写真に見える現在景色も、実は複数写真を連ねて加工した非現実の景色だ。
今回はそれを強調してつくっている。
孝一が時代に揉まれ風土に育まれて生きる様が伝わるだろうか。

笠木絵津子 現代美術家


わたしごとで恐縮ですが、古い写真についてはちょっとした衝撃を受けたことがあります。
今から十数年ほど前、わたしが55才ぐらいの時です。
使っていない部屋を整理していたら、一枚の写真が出てきました。
それは40年前に撮られたと思われるモノクロームのポートレイトでした。
写っているのは両親と弟。
弟はまだ幼い子供です。
両親を見ると、ビックリするくらい若い。
わたしの年齢から逆算すると、父は34才、母は30才ぐらい。
その表情の若さに驚き、何故か目頭が熱くなりました。
親子の年齢が逆転して、今の自分より遥かに若い、青年の面影を残した父。
同じく、若い女性の顔立ちの母。
一瞬、これまでの両親に抱いていたイメージが一変しました。
自分より若く、大人の手前にいるような両親の姿は衝撃でした。
考えてみれば不思議でも何でもないのですが、一枚の写真に魔法をかけられたような思いでした。
それはこれまで見た写真の中で、最も印象に残る一枚でした。

笠木さんの作品は、お父さんの若かりし頃のポートレイト、風景と現代の風景を交差(交錯)させてものです。
笠木さんの命名では「時空写真」になります。
まず目を引くのは、そのサイズです。
インクジェットのほぼ限界までプリントされた横長の写真。
これは意図的な仕様で、観客が歩きながら恰も絵巻物を見るように設えてあります。
つまり、視点の移動を計算に入れた遠近法が用いられています。
これは一般的な線遠近法(透視図法)に比べて、より人間の視点に近い方法です。

笠木さんが何故このような作品を作ったか。
わたしなりに考えてみると、歴史と人間の関係がまず思いつきます。
お父さんは一人の市民、庶民です。
その市民、庶民が生きていく過程には戦争、災害などの歴史的な事柄が関わってきます。
一人の人間の意志だけではどうにもならない、社会的、自然的な変動です。
言わば、歴史に翻弄される個人です。

一般的に歴史は個人ではなく、権力者やシステムの側から描かれます。
しかしこれは一方的な見方であり、少なからず政治的な意図もあります。
そうではなく、一個人から歴史を見る。
笠木さんの場合、お父さんでありお母さんです。
これは手間と時間を要する作業ですが、掘り下げていけば、そこに歴史の深層が見え、同時に人が生きてきた軌跡が現れます。
そして過去と現代を交差(交錯)させれば、歴史の断層のようなものも表出されます。

再び、笠木さんは何故このような作品を作ったか。
それは笠木さん自身の生きてきた過程を検証するためです。
それは近過去を含むとても個人的な歴史ですが、歴史の原型とも言えるものです。
その歴史を参照することによって、人の生と死が浮かび上がり、生きることの意味が見えてくるのです。
写真はそのためのツールであり、歴史を記述する笠木さんのペンなのです。

ご高覧よろしくお願い致します。


展覧会初日に笠木さんと平瀬礼太さん(愛知県美術館学芸員)の対談が催されました。
作品を巡って、お二人は終始和気あいあいの雰囲気で話が弾みました。



プライスリスト

作家Webサイト

会期

2018年1月29日(月)ー2月3日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内