藍 画 廊


軌跡の庭
Trajectory Garden


会場に貼付された「軌跡の庭」展の趣旨を記したテキストです。

90年代から活動を始めた作家達による今回の展示。
参加者は皆、旧知の仲ではあるが初めて同じ空間を共有する者も何人か含まれます。
長い時間をかけて独自の世界を構築し、銘々の歩調で今も創作活動を続けている作家達によるグループ展です。
それぞれの軌跡 - 30 余年に及ぶ紆余曲折の時を経て、 今またこの箱庭のような場所にひととき集まり同じ空間 を共有して何か新鮮な表現をしたい。
そんな呼びかけに賛同した作家達により今回の展覧会を開催することが出来ました。
互いに妥協しない信念と価値観を持ち、いつもは交錯することのない個性が集まり、ぶつかって分裂し、また溶け合い一つの色を織りなす。
そんな表現者達の「現在」を感じて頂ければ幸いです。

洲崎 正隆


「軌跡の庭」展の参加作家は以下の9名です。
浜田涼・本多理恵・唐沢美紀・岡典明・佐藤梨香・洲崎正隆・当間裕子・若宮綾子・葛生裕子
「軌跡の庭」展の展示風景です。



各壁面の展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。



正面の壁面です。



右側の壁面です。



入口横の壁面です。

以上22点が展示室の展示で、その他小展示室に6点、事務室壁面に1点の展示があります。
作品の詳細をご覧下さい。



左壁面、左端の本多惠理さんの作品です。
タイトル「進」(カンヴァス・油彩)でサイズ901×727です。



左壁面、左から2番目、3番目、4番目の浜田涼さんの作品です。
左は「201701 透きとおる」(写真<アーカイバルピグメントプリント>)で329×483です。
中央は「201702 透きとおる」(写真<アーカイバルピグメントプリント>)で329×483です。
右は「201703 透きとおる」(写真<アーカイバルピグメントプリント>)で329×483です。



左壁面、右端の唐沢美紀さんの作品です。
「Pomegranates・Peach」(布・アクリル絵具)で730×450×60です。



正面壁面、左端と中央の洲崎正隆さんの作品です。
左は「2017作品 011」(FRPパネル・アクリル・パステル・色鉛筆)で740×910×5です。
右は「2017作品 012」(ウレタンフォーム・アクリル・パステル・色鉛筆)で260×270×5です。



正面壁面、右端と台座の2点、若宮綾子さんの作品です。
左は「Untitled」(シナベニア・パステル)で100×100×40です。
中央は「Untitled」(シナベニア・パステル)で40×180×25です。
右は「Untitled」(シナベニア・パステル)で40×120×20です。



右壁面、左端、左から2番目、3番目の当間裕子さんの作品です。
左は「21071201」(ダーマト・油彩)で270×270です。
中央は「21071202」(ダーマト・油彩)で270×270です。
右は「21071203」(ダーマト・油彩)で270×270です。



右壁面、右端の佐藤梨香さんの作品です。
「かなしいきもち」(カンヴァス・油彩)で1000×803×25です。



入口横壁面、左端の葛生裕子さんの作品です。
「Gray Vibes」(カンヴァス・油彩)で910×725です。



入口横壁面の岡典明さんの6点の作品です。
左上は「2017-’ 9 -03」(ミクストメディア)で70×70×45です。
中央上は「2017-’ 9 -06」(ミクストメディア)で70×30×35です。
右上は「2017-’ 9 -08」(ミクストメディア)で40×30×25です。
左下は「2017-’ 9 -07」(ミクストメディア)で80×70×40です。
中央下は「2017-’ 9 -03」(ミクストメディア)で65×40×25です。
右下は「2017-’ 9 -03」(ミクストメディア)で40×30×25、「2017-’ 9 -03」(ミクストメディア)で60×50×40です。


この展覧会は冒頭のテキストにあるように、90年代から活動を始めた作家達によるグループ展です。
1989年の1月に昭和が終わり、平成が始まっています。
そして来年には平成が終わります。
つまりは、ここに集った作家の軌跡はほぼ平成の時代に重なります。

平成には多くの事件がありました。
オウム真理教の地下鉄サリン事件、ベルリンの壁崩壊、ソ連邦の崩壊、阪神淡路大震災に始まり、911アメリカ同時多発テロ、東日本大震災など、日本に戦争こそなかったものの大きな変動、災害が起きました。
又、本格的な情報化社会の訪れも平成の大きな時代的特色です。
その起因、起爆となったのは、インターネットの普及です。

航空機による交通の発達、すなわち海外渡航の普及とインターネットによる情報の流通は美術にも大きな影響を与えました。
日本と海外との隔たりが減少して、たやすく外国に旅行、滞在することが可能になり、情報も瞬時に駆け巡るようになりました。
その結果、現代美術の世界では欧米のアドバンテージが無くなり、日本の作家の水準が飛躍的に高くなりました。
それまでの欧米、特にアメリカの動向に時間差で後追いのするようなことはなくなったのです。
今回の展覧会に集ったメンバーの作品を見ても、かつてを知る者にとっては、そのオリジナリティとレベルの高さは驚きです。
(もちろん、それが突発的なものではなく、具体やもの派などの先達があってこそではありますが。)

「軌跡の庭」展の作品を見ていると、絵画や彫刻といったジャンル分けが無効であることを再認識させられます。
そもそもが絵画科出身で占められているメンバーですが、形式としての絵画に固執する姿勢は見られません。
技術的な裏付けさえ獲得できれば、表現の様式を問わない柔軟な発想があって、多様であることを厭いません。
空間に対する配慮も格別で、これはデビュー期にインスタレーションの洗礼を受けたことが大きな要因と思われます。
ただ平面や立体を作るのではなく、それと同等に空間にも意識が働いています。

と、ここまでは若干カタい話が続きましたが、この後は平易な内容の話です。
世の中、インスタ映えです。
この空疎な流行りは、空疎な生活の内実を反映しています。
なぜ空疎かといえば、生活の中に<生きることの意味>や<死ぬことの意味>が欠けているからです。
それこそを文化と呼ぶのですが、残念ながら文明の発達と文化の深化は反比例の関係です。
美術館やコンサートホールに文化があるのではなく、生活の中に文化はあって、生活の総体こそが文化なのです。

生活からアウトソーシングされた美術ですが、その存在意義は批評性にあると、わたしは思っています。
生活の中から消えていく<生きることの意味>や<死ぬことの意味>を、批評的に表現する。
つまりは、創造ではなく、失われたものの復権なのです。
人間や社会は進化したのではなく、どこかで道を誤った。
そのことを視覚的に探索し表現するのが美術である、とわたしは思っているのです。
そして、「軌跡の庭」にはその探索の跡が方方(ほうぼう)にあって、それは又、作家一人ひとりの生きてきた跡でもあるのです。
跡が描かれているのは(来年が最後になる)平成という、庭ではないかと思います。

ご高覧よろしくお願い致します。

プライスリスト

会期

2017年12月18日(月)ー23日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内