藍 画 廊

black mirrors
東京造形大学×名古屋芸術大学 大学院交流 プレ展
阿部くらら(東京造形大学) 藤原葵
(名古屋芸術大学)
ABE Kurara FUJIWARA Aoi


本展は東京造形大学と名古屋芸術大学の大学院交流プレ展です。

<ご挨拶>

東京の有名芸術系大学の一つである東京造形大学学生と愛知県名古屋市近郊にある名古屋芸術大学で学んだ学生との地域を超えた交流展を開催出来ることに多大な喜びと大いなる期待をしているところです。
1週間ほどの展覧会期の中で両校の英気に満ちた学生が展覧会を通じて、何を学び、また、何が学び合えるかを考え体験する機会になれば幸いです。
名古屋芸術大学
教授 大崎正裕

今年度は昨年度の名古屋芸大学内ギャラリーでの交流展に引き続き、2年目の東京展として名古屋芸大大崎先生との共同企画という 形で立案した。
この藍画廊での展覧会は本学学内での9月の本展に先立ち、プレ展という形で両校1名ずつの2人展を企画した。
私はここ藍画廊で、昨年までの5年間にわたり本学東京造形大学と慶應義塾大学との作品と批評の交流展を企画して来たが、こうした他学との学生交流は多くの学生が1つの大学しか経験できない中で、他学の教育環境や教育方針、作品制作の思想的や技法的背景等 様々な相違に触れることができる貴重な機会だと考えている。
我々美術大学にとっては学生たちが卒業後に制作、発表を継続して行ってくれることを願っているが、在学中学内でそのケーススタディーを体験する機会を作ることはなかなか難しい。
その意味でも、こうした実際の展覧会運営を巡る交流企画は重要なのではないだろうか。
東京造形大学
教授 近藤昌美

black mirrors展の展示風景です。



各壁面の展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。
藤原葵さんの展示です。



正面の壁面です。
藤原葵さんの展示です。



右側の壁面です。
阿部くららさんの展示です。



入口横の壁面です。
阿部くららさんの展示です。

以上10点が展示室の展示で、その他小展示室に2点、事務室壁面に2点の展示があります。
作品の詳細をご覧下さい。



左壁面、左端のの作品です。
タイトル「Recovery」(ミクストメディア)でサイズ1620×1300mmです。



左壁面、右端の作品です。
「Somewhere Further Away」(ミクストメディア)で1300×1620mmです。



正面壁面の作品です。
「Broken Pieces」(ミクストメディア)で1480×1480mmです。
以上が藤原葵さんの作品です。



右壁面、左端の作品です。
「good after noon」(アクリル、油彩)で1120×1455mmです。



右壁面、左から2番目の作品です。
「house」(アクリル、油彩)で220×273mmです。



右壁面、右から3番目と4番目の作品です。
上は「show(seeking work)」(アクリル、油彩)で530×652mmです。
下は「show(fashion model)」(アクリル、油彩)で500×606mmです。



右壁面、右端の作品です。
「show(bird)」(アクリル、油彩)で380×455mmです。



入口横壁面、左端と右端の作品です。
左は「memento」(アクリル、油彩)で242×333mmです。
右は「エアレース」(アクリル、油彩)で1300×1470mmです。
以上は阿部くららさんの作品です。

〈展覧会コメント〉

デジタル化やインターネットが普及し、スマートフォンのような端末は私たちの生活から切り離せないものとなった。
アナログである肉体を介して、見つめて続けている小さな画面は、鏡であり、発光体であり、平滑な暗闇である。
それを身につけた私たちは、どのような未来へ行くのか。
アナログである絵画を通して、私たちは探っていく必要がある。

わたしたちの視覚による認識が大きく変化したのは写真の発明以降です。
写真は現実をリアルに写すメディアとして、その光学的構造(カメラアイ)は映画、テレビ、パソコン、スマートフォンの映像に受け継がれます。
つまり、わたしたちはカメラの視線で世界を見ていることになり、そのことに疑義を挟むことは稀です。
しかしデビッド・ホックニーの指摘によれば、カメラ視線は単眼の固定された視点であり、偏った視点になります。
現実の人間は、複眼で世界を見、固定ではなく常に動きながら複数の視点を持っているからです。
三次元の世界を二次元に変換する方法としては歪んだシステムと言えます。

絵画は写真の発明によって独自の道を歩むことになりました。
リアルに写すことは写真に任せ(と同時にその職を奪われ)、いわば世界の神秘に突き進んで行ったのです。
「見る」ということの探求は印象派、キュビズムを生み、第二次大戦後も幾多の方法が生れています。

本展の二人の大学院生はそのような絵画の歴史の末裔であり、現在進行形です。
藤原さんはアイデンティティの希薄な日本人として自覚から、アニメのキャラクターを創造し、実像と虚像を混ぜ合わせながら、強烈な蛍光色で絵を作っていきます。
阿部さんはカメラアイの映像をモチーフに、浮遊する風景や人物を柔和な絵画的タッチ、色調で画面に固定しています。
いずれも、今、此処に居る自分から発したテーマです。

現在、絵画は驚くほどアナログな存在ですが、(再びホックニーの指摘によれば)ダビンチの時代からレンズによる光学的な描画があったようです。
写真以前から写真原理の絵が描かれていたことになり、絵画と写真の関係はメビウスの環のように捻れていることになります。
昨今のデジタルなカメラアイの生みの親は絵画であり、そこから遠くはなれているのも絵画であるという皮肉な現象です。
さて、絵画はどこに行くのか。
若き二人の旅人の道程に注目(と期待を)したいと思います。

ご高覧よろしくお願い致します。

プライスリスト

会期

2017年8月21日(月)ー26日(土)
11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内