藍 画 廊



大畑幸恵展
ーマダラダマー
OHATA Yukie

大畑幸恵展の展示風景です。


画廊入口から見て、左側の壁面です。
中央はタイトル「from your viewpoint」で、サイズ130(H)×162(W)cmで、油彩です。
左右の4点はタイトルがすべて「untitled」で、サイズは左から45.5×27.2、45.5×27.2、41.0×41.0、41.0×27.2で、アクリルメディウム・カキ殻を使用しています。



正面の壁面です。
「マダラダマ#7」で145×145、油彩です。



右側の壁面です。
左から、「It's up to you」で145×145、「サバイバー」で72.7×90.9です。
共に油彩です。



入口横の壁面です。
「マダラダマ#10」で116×116、油彩です。

以上9点が展示室の展示で、その他小展示室に6点の展示があります。


本展のサブタイトルは「マダラダマ」という聞き慣れない言葉になっています。
マダラダマとは一体何でしょうか。
この言葉について大畑さんは以下のように説明しています。

|マダラダマシリーズとは|

世の中には、理屈には当てはまらない「マダラ」なものが存在する。
わたしはそれに興味がある。
わけきれないものの不思議さ、そのパワー。
「マダラ」はきっと未知の可能性を秘めている。
タイトルの「マダラダマ」とは、わけきれないものや一見わかりづ らいものを指す造語で、「マダラ」という言葉の響きがもっと“マ ダラ”になるように名付けたものである。



左壁面の「untitled」4点のうちの2点です。
この作品はアクリルメディウム・カキ殻を使用しています。
カキ殻をすり潰してアクリルメディウムで溶き、それをグリッド(格子)上に構成した作品です。

このカキ殻は大畑さんの居住地である広島の名産です。
日常にあるものを作品に自然に溶け込ませる意図でカキ殻を使用していますが、他のマダラダマシリーズとは対照的なシンプルさで、素材へのこだわりが見える作品です。
グリッドのマダラは、カキ殻のすり潰し具合(粉末の密度)が濃淡となって表されています。



左壁面の「from your viewpoint」です。
この画像では分かり難いのですが、油彩のマダラダマシリーズは何層にも重なった四角(グリッド)が作品の中心になっています。
部分のクローズアップをご覧下さい。



この四角はゴムのスタンプで画面に着色されたものです。
地塗り上に、この小さな四角が何層にも渡ってスタンプされ、膨大な時間を使って制作されています。
所々にスタンプ以外の筆致もあり、スタンプとペイティングでマダラダマを作っているのが分かります。



正面壁面の「マダラダマ#7」です。
膨大なグリッド(四角)が宙を舞っているかの様な、奥行きを感じる作品。
鮮やかな色彩です。




右壁面の「It's up to you」です。
暖色系のマダラダマで、「マダラダマ#7」が縦方向なら、これは横方向に動きを感じる作品で、色合いには華やかさがあります。



同じく右壁面の「サバイバー」です。
この作品の四角は、ディスプレイ(モニター)のピクセルを想像させます。
大畑さんの意図通り、マダラ以上にマダラなマダラダマな作品です。



入口横壁面の「マダラダマ#10」です。
左壁面からグルリと見て回り、最後にこの作品を見ると、四角(グリッド)の様相が一変していています。
この展示方法は面白いですね。
ペイントのマダラが主役で四角は脇に回った印象ですが、四角の存在感は薄れていません。


画廊の壁面には、先ほどのマダラシリーズの説明と共に、大畑さんが記した作品のコンセプトが貼付されています。
以下に転載します。

|コンセプト|

分類・体系化された現代社会構造の中で、私はあやうい土台の上を歩いている感覚に襲われるときがある。
確かさを求めるほど、四角四面な世界に入り込んでゆく。
いったい、確かさとはなんだろう。
ヒトが作り上げてきた言葉や数字といった効率的な視点から、私たちはどれだけのことをつかめているのだろうか。
私は四角いカタチを手作業でスタンプしていく。
そして幾重にも重なる層で、確かさというもののあり方の複雑さを表現している。
私は足りないリアリティをつかみたくて、分化されたこの構造のなかのあちこちに手をのばす。
そうしているうちに、現実を感じる瞬間に出会えるときがある。
それは「自分のモノの見方、考え方、感じ方」と「世界」が強く結びついた時なのかもしれない。
このようなキラキラと輝く実感をともなった世界が、マダラダマシリーズが目指す世界である。


マダラ(斑)とは違った色が所々にまじっていたり、色に濃淡があったりすることを意味します。
大畑さんの絵画、見事に複雑でマダラです。
そのマダラの根幹には身体性があるように思えます。
例えば、カキ殻を使った作品。
これは言わば絵具の自作ですが、カキ殻は大畑さんの身体が属する土地から切り離せないものです。
ですから、この作品のベースには土地と人間の関係性があります。

土地と人間の関係性こそマダラな関係で、言葉や数字といった効率的な視点からは窺い知れないものです。
それは昨年の東日本大震災で明らかになったことでもあります。
あの震災は、人にとって、家族と土地がいかに大切なものかを痛感させられました。
これは論理や理屈では割り切れない、マダラなものです。

スタンプで四角(グリッド)を限りなく押し続ける。
これも身体的な作業です。
この行為は、イーゼルにキャンバスを立て、絵筆でサラッと描く絵画の極北に位置します。

オーソドックスな絵画の方法論からはみ出た作法で、絵を描く大畑さん。
その絵には、論理で構築された世界からはみ出さざるを得ない、身体性が見え隠れしています。
過剰とも思える四角(グリッド)で埋め尽くされた画面。
それは大畑さんが身体を賭けて掴み取ろうとした「確かなもの」の軌跡です。
そのリアリティは、見る者に問いかけ、魅了します。


突き詰めていくとマダラダマとは絵画そのもののことではないでしょうか。
大畑さんの作品を見て記したテキストを読むと、そう思います。
絵を描くという行為は、人間の、世界のマダラを表すということです。
そういう役割こそが、絵画の第一義です。
となれば、マダラダマシリーズは絵画の変則ではなく、本流を歩んでいることになります。

ご高覧よろしくお願い致します。

 

会期

2012年3月19日(月)ー3月24日(土)

11:30amー7:00pm(最終日6:00pm)



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