藍 画 廊



宮崎むつ展
MIYAZAKI Mutsu


宮崎むつ展の展示風景です。



各壁面の展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。
左から、作品タイトル「草むら」で、作品サイズ53.0(H) × 53.0(W)cm ( S10号 )、「草むら」で53.0(H) × 53.0(W)cm ( S10号 )、「静けさに戻る*森」で53.0(H) × 53.0(W)cm ( S10号 )、「命の輝き 2009」で53.0(H) × 53.0(W)cm ( S10号 )、「静けさに戻る*森」で53.0(H) × 53.0(W)cm ( S10号 )です。



正面の壁面です。
左から「命の輝き*地」で100 × 100 ( S40号 )、「命の輝き*宙」で100 × 100 ( S40号 )です。



右側の壁面です。
「命の輝き」で53.0 × 53.0 ( S10号 )です。



入口横の壁面です。
左から「地に還る」で65.2 × 100 ( M40号 )、「地に還る」で65.2 × 100 ( M40号 )です。

以上の10点が展示室の展示で、その他小展示室に2点、事務室壁面に1点の展示があります。
小展示室の2点が油彩・キャンバスで、その他の作品はすべて油彩・キャンバス・ボールペンを使用しています。



左壁面の連作「草むら」の1点です。
作品に特にモチーフはなく、タイトルは作品の完成後に付けられています。
しかし草は宮崎さんにとって特別な意味を持っています。
画廊には宮崎さんの作品に対するコメントと略歴が記されたパンフが置かれています。
コメントを以下に転載したします。

●時間を埋め込んでいく
画面の中に、ボールペンで無数の線を描いています。
初めてボールペンで画面に線を描いたのは植物の茎の線でした。
ボールペンのかたい線の表情が、植物の細くしなる茎の強さにびったり合っていました。
その線は描き進むうちに、植物の形から離れ、無数の絡み合った抽象へ進み、草むらの植物のざわめきへとかわっていきました。
今は色を重ね、点を重ね、そしてその上に線を重ねています。
いつしか線は画面の中に埋もれていき、線の形としての存在はなくなりましたが、
線の重なりはいつの間にか時間を埋め込み、深さとなってその存在を示し始めました。
繰り返し、繰り返し、時間を埋め込んでいくと、画面から深い色が立ち上がり始め、心に深く響いてきます。
その時を待ちながら線を描き込み、自分自身を見つめ続けたいと思っています。



左壁面の「静けさに戻る*森」です。
この小さな画像では分りませんが、色が重なり、ボールペンの線が無数に重なっています。



同じく左壁面の「命の輝き 2009」です。



正面壁面の「命の輝き*地」で、隣りの「命の輝き*宙」と対になっています。
色と点と線、それが複雑に層を為しています。
その層(時間)の深さは、生そのものの徴(しるし)です。



右壁面の「命の輝き」です。
この展示が、本展のハイライトとともいえます。
一番上の展示風景の画像をご覧下さい。
広い右壁面に1点だけ、この作品が置かれています。
思い切った展示ですが、緊張感と優しさが同居した空間に成っています。
近づいてみると、ボールペンの線が無数に引かれているのが分ります。



入口横壁面の連作「地に還る」の1点です。
モノトーンタイプ作品が多い中で、青系と赤系が組み合わされた作品です。
見る角度によって、その色合いと輝きが変わります。


平面作品にボールペンを使用するのは、それほど珍しいことではありません。
ボールペンだけで描かれた作品も存在します。
しかし、宮崎さんのボールペンの使い方と、その線の在り方は独自です。
油彩の色と互角に存在していて、作品を唯一無二のものにしています。

ボールペンのかたい線は、それ自体は無表情です。
それがフリーハンドで無数に引かれて、その上に色が塗られ、点が描かれ、又無数の線が引かれる。
その繰り返しは、線に表情を与えていきます。
表情は、最終的に宮崎さんによってタイトルとなって浮上してきます。

タイトルを見ながら作品を眺めていると、人と、人を成立たせている世界を感じます。
その空間的広がりと時間的な流れを感じます。
それは、作品の描き方、成り立ちと同様、一様単純なものではありません。
多くの要素が絡み合い、繰り返しながら、世界は作られています。

一本の、ごく普通のボールペン。
それが紡ぎだす、深い色の世界。
何とも、興味深い表現です。

ご高覧よろしくお願いいたします。



会期

2009年10月26日(月)-10月31日(土)

11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内