藍 画 廊


上野茂都展
UENO Shigeto


2005年藍画廊のオープニング展覧会は上野茂都さんの個展です。
画廊入口から入ってみると・・・・。


いつもより暗い画廊空間です。
照明が通常より落とされていて、赤みを帯びた白熱光が全体をボンヤリと照らしています。
(撮影の都合上照明を明るくしましたので、実際の画廊空間とは色相が若干異なります。)


しかし、この石の群像は何なのでしょうか?
全体像をご覧下さい。



手前の列が三点、その奥の列が二点といった具合に、三点、二点、三点と整列しています。
都合十三点の石彫作品です。

作品タイトルを手前左から右に向かって列記いたします。
「阿」、「伊」、「吽」、「眠(小)」、「楼閣(壱)、「楼閣(弐)」、「騎象像」、「山水」、「楼閣(参)」、「亀山」、「眠(松)」、「眠(竹)」、「眠(梅)」。

タイトル通り、三重塔や五重塔の楼閣、布団で眠っている(死んでいる?)人、亀が重なった亀山や、象に乗った像などがあります。
素材は縁持石の作品が五点、混繰土が八点です。
サイズはすべて異なっていて、最少22(H)×32(W)×23(D)cm、最大46.5×39×20.5cm。

この石の像たち、どこかで見たような気がしますね。
地方の村の寺社や道端、あるいは都会の路地にヒッソリと置かれている石像に似ていますね。
それらの石像は神々自身や神々の住む家です。

もちろん、本展は上野さんがそのような石像を収集して展示したものではありません。
上野さんが丹精込めて制作した石像です。
石像の様式を借りてきただけで、作品には強烈なオリジナリティが存在しています。
石彫から出発して多様な素材で作品を制作してきた、上野さんの集大成ともいえる作品です。

それでは、作品のスナップをご覧いただきます。



素朴で大らかで、何ともチャーミングな多神教的世界ですね。
ところどころ彩色されていますが、これも自然で味わいがあります。



上野さんの作品には、その初期から死生観が表現されています。
それは禅僧のようなストイックさとは違い、死生を自然の流れとして眺める姿勢です。
眺めたものは、作品に「安心」として現れているような気がします。
「安心」、安らかな心ですね。

だから、これらの石像を見ていると、わたしは何となく安心します。
心がやすらんで、余計なことを考えるのがバカバカしくなります。
わたし達の日常を振り返ってみれば、ほとんどは余計なことで成り立っています。
現実を生きていく為には致し方ないのですが、それを取っ払ってみると、このような有り様が出現します。
(昔の人は肝心な事だけ考えて、余計なことは考えなかったんですね。)

次は、道路側ウィンドウの三点をご覧いただきます。


上左からタイトル、「楼閣(与)」、「眠画」、下左は「騎象像(弐)」です。
左の二点は青銅で、右の平面は和紙に着彩です。

画廊内の作品と素材は異なっても、表現されている世界は同じです。


上野さんの作品が具現している宗教的な世界は、現今の宗教以前の宗教です。
「世界を創造した神もいたかもしれないが、その神も神様の一人にすぎない」時代の宗教です。
近代が否定したキリスト教も否定した、土着の宗教です。

その土着の信仰と神々が、現代美術の作家によって蘇生させられている不思議さが、上野さんの作品です。
作品はシンプルで無駄がありません。
必要なものが必要なだけ表現されています。
人にとって本当に必要なものが、そこにあります。
そしてここが肝心なのですが、必要なものだけが表現された世界が、豊饒で奥行きが実に深いことです。

「安心」とは、本当に必要なものが分かったときの気持ちの在り方かもしれません。
ご高覧よろしくお願いいたします。


上野茂都サイト


会期

2005年1月11日(火)-1月22日(土)

16日(日)休廊

11:30am-7:00pm(最終日6:00pm)


会場案内